【プロレス蔵出し写真館】今から41年前の1984年(昭和59年)2月9日、新日本プロレス、大阪大会の試合前、長州力が怒りに体を震わせた。
「どうして、こんなデタラメな記事ばかり出るんだ。オレは雑誌社を告訴することも辞さない」。長州の言う〝デタラメな記事〟が載ったのは、9日に発売されたプロレス専門誌。
記事には〝佐山(サトル=初代タイガーマスク)、長州力が4月からプロレス放送するフジテレビの第3団体「ユニバーサル・プロレスリング」とすでに契約済みで新団体に参加する〟とあった。
長州はマスコミの前で雑誌を真っ二つに引き裂くと(写真)、「何度も何度も、こんな無責任な記事を書かれた。この雑誌はオレに話を聞きに来たことがないじゃないか。こうなったら告訴するしかない。帰京して弁護士と相談する。それにしても、なぜこう事実無根のガセ情報ばかり乱れ飛ぶんだ」と吐き捨てた。
長州は、第3団体と仮契約を終えたと、まことしやかな噂が流れていた。今回の記事も〝契約済み〟と断定報道されたことで怒りを一気に爆発させた。「我慢にも限界がある。告訴することで、オレの身の証しを立てたい」と怒りの収まらぬまま、メインのリングに向かった。
この日はアニマル浜口&谷津嘉章を従え、6人タッグでアントニオ猪木&前田明(後の日明)&藤原喜明組と対戦した。当初予定されていた木村健吾(後の健悟)が、藤原と交代した。藤原には6日前の2月3日、札幌大会で藤波辰巳(藤波辰爾)とのWWFインターナショナルヘビー級選手権の試合前に鉄製バールで襲撃された。大流血させられ、試合をぶち壊された因縁があった。
この日は、その藤原を血だるまにして、戦闘不能にして維新軍はレフェリーストップ勝ちを収めた。
ところで、80年代に〝楽しくなければテレビじゃない〟とのキャッチコピーで、隆盛を誇っていたフジテレビがプロレス中継を検討し始めたのは、この年1月のことだった。
2月の定例社長会見で石田達郎社長が「プロレス中継をやる方向で検討している」と認めた。毎週水曜日の午後8時から18年間続いた「銭形平次」の放送終了が4月4日と決まっていて、翌週11日からの後番組「スポーツ・スクランブル」の第1回の放送にプロレスが候補として挙がっていたのだ。
第3の団体「ユニバーサル・プロレス(旧UWF)」は、前年に発生した〝新日プロのクーデター事件〟の責任を取って新日プロを退社した〝過激な仕掛け人〟と言われた新間寿氏が設立したもの。
長州が専門誌を破いた4日前の5日、米ニューヨークに渡米する新間氏が東スポの取材に答えて、「団体設立を決めたのは猪木のため」と断言。「猪木が燃える舞台を作ってやりたい」と語り、2月8日付の1面を飾っていた。
ユニバーサルの事務所開きが盛大に行われた3月8日、その場に〝まさか〟の悲報が飛び込んだ。フジの広報部長が「放送せず」と表明したのだ。
三井広報部長は「相手方との交渉過程の中で、出場選手と相手方の対応に不安があった。少しでも不安があっては放送に踏み切れないので放送計画は取りやめた」と「放送せず」の理由を語った。
ユニバーサルを代表してフジテレビと交渉していたのは元「梶原一騎プロ」にいた川島茂氏。
「彼が当初、フジに提出していた選手のリストはものすごいものだった。猪木から長州、佐山、前田などが並んでいた。それを見たフジは乗り気だったが、時間と共に企画書は企画書だけで終わり、テレビ朝日も企業防衛に出て、噂の選手の引き留めに本気になった」とフジの子会社であり「プロレス中継番組を制作する」とみられていた共同テレビの関係者が明かした。
さて、当時の関係者は「長州はテーブルの上に小切手1500万と現金2500万~3000万円を積まれ、『これで来てくれ』と言われたようだ。長州は『オレはこんなんじゃ動かない』と断ったと。新間さんには『後からフジテレビから金が出るから。猪木も動くから長州も来てくれ』と言われたみたい」と回想する。
ユニバーサルの動きを察知したテレビ朝日が、先回りして長州たちと新日本との契約とは別に専属契約を結んだ。「それまでは猪木さん、坂口(征二)さんだけだったが、今回は全選手に改めて契約金が支払われた。レフェリーでも300万、若手は60万~70万ぐらい」(前出の関係者)
ところで、ユニバーサルの放送を見送ったフジテレビは、その年の7月、クラッシュギャルズ(長与千種&ライオネス飛鳥)がビューティ・ペア以来の女子プロレスブームを巻き起こし、中継を開始する。爆発的人気を呼んだのはネットフリックスの「極悪女王」でも周知の通りだ。
長州は同年9月に維新軍のメンバーを率いて新日プロを退団。大塚直樹社長の新日本プロレス興行へ移籍する。ジャパンプロレスと社名を改め、全日本プロレスのリングへ戦場を移すこととなる(敬称略)。【プロレス蔵出し写真館】の記事をもっと見る













