【平成球界裏面史 近鉄編130】近鉄、オリックス、巨人と渡り歩き、サラリーマンとして焼酎の販路拡大に動く営業マンに転身。さらには、勤務先が直営する居酒屋の責任者を務めるなど近鉄最後のドラ1・香月良太の人生は動き続けてきた。
そして、何と平成を飛び越え令和の時代となった令和6年(2024年)には41歳にして現役復帰という離れ技も見せてくれた。九州アジアリーグに準加盟した佐賀インドネシアドリームズに、投手コーチ兼任選手として参戦。実弟の良仁が監督を務めるというご縁もあり、8年ぶりにプロ野球選手としてマウンドに上がる機会が訪れた。
4月13日に行われたチーム初公式戦、宮崎サンシャインず戦(佐賀県武雄市のひぜしんスタジアム)では5番手として救援登板。登板時点で0―17と大量ビハインドという状況だったが、香月は往年の投球術で相手打線を抑え込んだ。
かつてのような球威はなかったとはいえ、近鉄のドラ1のオーラは本物。安定した制球力と落ち着いたマウンドさばきは健在で右飛、三飛、空振り三振と三者凡退で格の違いを見せつけた。
このシーズンは5試合に登板し、大炎上してしまったゲームもあってか防御率は9・72という数字を残してしまったが、それ自体が問題ではない。「引退してからも草野球はやってましたからね。東京のクラブチームの大会でも投げてました。でも、やっぱり緊張しました」とNPB時代とは意味の違う純粋な汗を流した。
令和7年(25年)には佐賀アジアドリームズに改名しインドネシア、フィリピン、スリランカ、アメリカ、ベネズエラ、日本に加えパキスタン、カンボジア、タイ、ベネズエラ、ドイツの選手が所属する多国籍軍として奮闘。初年度は16戦全敗だったが、今シーズンは2勝20敗とチーム初勝利も挙げている。
異国の選手たちからすれば、かつて近鉄、オリックス、巨人で通算371試合に登板した香月の存在は最高の生きた教材。野球発展途上の東南アジア諸国の選手たちもNPBの存在やレベルを知っており、香月へのリスペクトは半端ない。
「コーチとして教える仕事は初めてですから新鮮です。言語のカベはありますが、それも慣れていくと思います。みんな伸びしろしかない選手ばかり」(香月)
佐賀県の嬉野市、武雄市を本拠にしており、チームとして外国人選手たちと地元との交流を大切にしている。現地の農家の協力を受け選手たちが田植え、稲刈りを行った佐賀県産米「夢しずく」を「ドリームズ米」として、この10月末まで限定発売もしていた。
チーム佐賀の野球はインドネシア本国の国営放送で放映もされた。そのほかにもスリランカ、シンガポールから現地の大手メディアが取材に訪問するなど、日本市場以外での野球人気に貢献している。なんと公式配信動画へのアクセスは9割が日本国外からという。
かつての近鉄ドラフト1位は球団消滅、2度の移籍、サラリーマン生活を経てたどり着いた現在地。香月は野球を通じ、日本が世界に誇る精神性を伝え、世界の発展と平和へ寄与すべくその豪腕を振るい続けている。















