【平成球界裏面史 近鉄編128】平成24年(2012年)に〝近鉄最後のドラ1〟香月良太は、近鉄からオリックスを経てトレード移籍で巨人のユニホームを着るという人生を送っていた。中継ぎ陣の強化を目指す巨人と先発強化を目指すオリックスの補強ポイントが合致。12年11月5日に東野峻、山本和作との2対2の交換トレードで、阿南徹とともに巨人に移籍することが決まった。
平成25年(13年)は4月9日に移籍後初めて一軍に昇格し、同23日のDeNA戦で3点差リードの6回無死一塁で登板。1回を無失点に抑えた。この試合では移籍後初のお立ち台も経験。この頃の香月は東京ドームに詰めかける観客の多さ、取材に訪れるマスコミの数に圧倒されていた。ただ、シーズントータルで見ると19試合で勝敗なしの3ホールド、防御率6・16と目立った成績を残すことはできなかった。
一、二軍を往復するような起用となり、巨人の中継ぎの投球パターンにはまることなく移籍1年目のシーズンを終えた。
平成26年(14年)は広島からFAで移籍してきたの大竹寛投手に背番号17を譲ることが決まった。香月は近鉄入団時からオリックス、巨人入団時も一貫して17を着用していた。17を譲ったことにより、香月が選んだのはかつて近鉄でも同僚だった高木康成が着用していた13に変更。このシーズンは41試合に登板し3勝2セーブ、6ホールド。巨人リリーフ陣の一角として活躍し巨人のリーグ3連覇に貢献した。
「パ・リーグとセ・リーグの野球の違いというのはよく聞かれますけど、やっぱり違いはありますね。まして移籍したのはジャイアンツでしたからね。何をするにしても人が多いですし、常に見られているなという感覚はありましたね。よく言われるようにパ・リーグの打者の方が豪快ちゃ豪快ですね。もともと、そっちで慣れてきてるのでセ・リーグに来ての違和感とかはなかったですよ」
ただ、香月の巨人での生活はそう長くは続かなかった。平成27年(15年)は新人の戸根千明や、中継ぎ転向に成功した宮国椋丞らの活躍に押され1軍出場機会が激減した。移籍後最少の14試合の登板で勝敗なしの防御率3・77という成績だった。
平成28年(16年)は一軍登板なしでシーズンを終えた。イースタン・リーグの公式戦では41試合に登板し防御率2・06と格の違いを見せたが、球団から10月4日に戦力外通告を受けた。
香月自身としては余力を残したままでの戦力外通告だった。「自分ではまだまだ余裕で投げられると思っていました。7月末のトレードの期限が終わる頃にも一軍に呼ばれないということは、どうなんだとも思っていましたが、二軍で結果を残してもチャンスは来なかったですね。心の中で『今年で終わりなのか』というふうには思っていましたね」と当時を振り返る。
周囲の空気というのか、微妙な雰囲気を香月も感じ取っていた。ただ、投げられる以上は現役を諦める気持ちにはなれなかった。他球団での現役続行を模索し希望し平成28年(16年)11月12日に甲子園で開催された12球団合同トライアウトに参加した。シート打撃形式で打者3人と対戦し被安打2。
〝近鉄最後のドラ1〟はNPB通算371試合、18勝10敗、3セーブ、77ホールド、防御率3・88という成績を残しユニホームを脱ぐこととなった。














