【平成球界裏面史 近鉄編127】平成22年(2010年)、オリックスは球団OBでもある岡田彰布監督を招へいしチームの立て直しを図った。その中で香月良太は貴重なリリーバーとしての活躍を期待され、シーズンを迎えた。初登板となった3月21日の楽天戦で勝利投手となり幸先のいい滑り出し。チームは交流戦で16勝8敗と好成績で優勝を果たしたが、香月は調子を崩し5月30日に登録抹消を経験している。
最短の6月10日で一軍に再登録されると好調をキープ。8月28日の日本ハム戦ではプロ初セーブを記録した。岡田監督が就任以来、セットアッパーに平野佳寿、守護神・岸田護を固定していたが登板過多とあって、香月が代役守護神を務め信頼の厚さを示した。
さらには、8月19日の楽天戦では先発不足というチーム事情から2年ぶり4度目の先発登板も経験。豊富なキャリアを生かしてチームの窮地を救った。最終的に平野の63試合、岸田の57試合に次ぐ46試合に登板。3勝1敗1セーブ、4ホールド、防御率3・02という数字を残した。
平成23年(11年)もリリーフ陣の一角として年間を通じて活躍。平野、岸田の勝利の方程式につなぐ役割を果たし防御率2・12を記録。チームはシーズン終盤までクライマックスシリーズ進出へ善戦し、69勝68敗7分と勝ち越したものの、西武に勝率1毛差で3位を譲り悔しいシーズンとなった。
平成24年(12年)もリリーフ陣の一角としてスタートするも春から不安定な投球が続いた。チームとしてはFAで西武から右腕の許銘傑(ミンチェ)、韓国球界から李大浩を獲得するなど補強に成功し優勝候補にも挙げられたがが、開幕3連敗スタートなるなど不調。交流戦で不動の一番打者だった坂口智隆が右肩脱臼し戦線離脱するなど誤算が続いた。
チームの不調と比例するように香月の調子も上がらず、シーズン52試合に登板しながら防御率は5・18と不本意な成績。平野・岸田につなぐ役割を担い登板を重ねたものの、流れに乗れないままシーズンを終えた。チームは球団ワーストの12連敗を喫するなど、最下位に低迷。3年目だった岡田彰布監督も、シーズン途中で事実上の解任という混乱ぶりだった。
香月は対日本ハムでは防御率1・59と安定していたが、対西武では防御率6・00、対楽天戦、ロッテ戦では防御率9点台と好不調の波が大きかった。近鉄が消滅してからすでに8年が経過。その歴史を引き継いだ合併球団のオリックス・バファローズに貢献してきたが、シーズンオフの11月15日に巨人へのトレードが発表された。
プロ入り9年が経過し近鉄、オリックスから初めてのセ・リーグ球団である巨人への移籍は転機となった。「うれしいのとさびしいのと半分くらいの気持ちでしたね。時代が変わっても巨人のユニホームを着るという事実に憧れの感情はありました。でも、重圧の中で結果を残せるのかなという気持ちもありました」。
福岡・柳川高から神奈川を拠点とする社会人・東芝を経て近鉄入り。社会人時代に経験している関東地方への移籍により、香月にとって将来的な選択肢の幅が広がることになるとは、この時点では知る由もなかった。














