【女子プロレス最強レスラーの告白 神取忍 お前の心を折ってやる(17)】1987年7月に元ビューティ・ペアでジャパン女子の看板選手、ジャッキー佐藤さんの「心を折る」試合をした後、米ニューヨークや北海道へ逃避行。それでも次第にリングへの復帰を考えるようになった。全日本女子プロレス入りだ。
関係者を通じて親交があった全女の看板選手・長与千種がフロントに何度も掛け合ってくれたりもした。でも結局ジャパン女子は契約を盾に“移籍”を認めない。「5年契約を結んでいる。だから賠償金を全女に払ってもらう」とね。全女は嫌がるよね。グダグダ言っていても仕方がないから全女の大田区大会に乗り込んだこともあった。
弁護士を介しても全女入りは実現せず、フリー契約としてジャパン女子のリングに再び上がることになった。88年7月のデビル雅美戦でついに復帰。ジャッキーさんとの試合後、約1年が経過していた。
当時のジャパン女子は社長が何人も代わったり、いろんな人がスタッフとして入って、ぐちゃぐちゃしていた。ある日、風間ルミから「ジャパン女子が解散するらしい」と聞いた。しばらくすると、マスコミ関係者に怪文書が出回った。「風間と神取、他数人が新団体を旗揚げする」と。
根も葉もないデマだった。でも、会社は疑って結局、風間の解雇が決まった。風間は選手会長だったから、よく選手の意見を代弁して煙たがられていたんだ。その後、風間と自分らを除いた選手数人が呼ばれて「経営危機だが、ついていく人間は手を挙げろ。そうでないやつは出ていけ」と。残った人間から生まれたのはJWP。オフィスも宣伝カーもジャパン女子と同じだった。
ジャパン女子の最後の試合には、解雇された風間は出ていない。フリーの自分はどうするか聞かれたが、一緒に頑張ってきた風間がいないのはおかしいから出なかった。
「さあこれからどうしようか」と風間と話し「このままでは終われないよね」と新団体をつくろうと決めた。
風間は唯一の同期で同志だよね。自分がジャパン女子を離れていた時も「戻ってきてよ」と連絡をくれたし、会社に「神取を復帰させて!」って頼んだりしてね。こっちは「てめえ、勝手なことすんじゃねえ。だからこじれるんだ」って怒鳴るんだけど。お金じゃなくて、選手のために頑張る。気持ちで動く子なんだ。心意気がある功労者を最後の最後に会社がクビにして最後の大会に参加させないというやり方は許せなかった。「風間を助けてあげないと」という気持ちはあった。
このころは不透明なことが本当に多かった。ただ、一部で言われたようなクーデターは絶対にない。その証拠に何の準備もしていないから、大波乱の船出となるんだ。













