【平成球界裏面史 近鉄編109】平成14年(2002年)に近鉄・久保康生投手コーチの指導の下で〝魔改造〟を施されたジェレミー・パウエル投手。来日1年目の平成13年(01年)は6月からチームに加入し14試合に先発、4勝5敗、防御率4・95と微妙な数字だった。ところが、翌シーズンは明らかに投球内容が変わり、結果が積み重なるという現象が起こった。

 全て先発で32試合に登板。完投は5回で4完封、無死球試合が3試合という安定ぶりだった。勝敗も17勝10敗で最多勝利投手となり、6割3分の勝率もリーグトップだった。投球回数は216回2/3に達し奪三振数がリーグトップの182。1イニング平均での被安打、与四球数を示す指数WHIPも1・14でリーグ最高の数字を残した。

 当時のパウエルは「久保さんの指導のおかげによるところが大きい。いや、全てと言っていい。どちらがいい、悪いかは私は判断できないが、メジャーではコーチはこちらが求めない限り教えてはこない。しかし、久保さんは私の良さを引き出すために、押し付けるわけではなく提案してくれた。私は自分で納得したからその教えを受け入れることができた」と話していた。

阪神の井川に投球始動する久保コーチ(2005年2月)
阪神の井川に投球始動する久保コーチ(2005年2月)

 身長196センチというサイズを生かした指導がハマったという見方も多いが、実はそれだけではない。個人を重んじ、求められない限りは自ら指導をしないメジャーのコーチングスタイル。自らがカベにぶち当たり、助けの手を選手が伸ばせば膨大なデータや資料を駆使してサポートしてくれる指導者がいることはメジャーではスタンダードな事実だ。だが、チーム内で中心的な立場の選手でもない中で、積極的にコーチに助けを求めることができるハートの強いアスリートばかりではない。控えめな欧米のアスリートだって存在する。

 そういった背景もありパウエルにとっては久保コーチの「提案」という形でのアプローチが新鮮だった。グイグイとこれやってみてよというわけでもない。あなたが必要ならこういったアプローチもある。いつでも用意しているから声を掛けてほしいという、相手を思いやった日本風の指導法だ。文化の違いがあるから仕方ないと片付けるのではなく、久保コーチとパウエルがお互いの立場と気持ちを理解し歩み寄った結果が最高の数字となった。

ベンチから主審に怒鳴り声をあげるパウエル(2004年5月)
ベンチから主審に怒鳴り声をあげるパウエル(2004年5月)

 パウエルは平成14年(02年)に最多勝、最多奪三振、最高勝率、ベストナイン、最優秀投手と数々のタイトルを獲得。5月、6月には月刊MVPを2か月連続で獲得した。球宴にも選出され第2戦で登板を経験している。「年1試合のみでメジャー30球団から選出されるMLBのオールスターとは意味合いが違うかもしれない。でも、そんなことは問題ではない。日本で外国人選手として球宴に参加できることは光栄だったね」。ほぼマイナー暮らしだったエクスポズの1人の米国人投手、ジェレミー・パウエルはジャパニーズドリームをつかんだ。