【橘高淳 審眼(47)】1999年3月11日、京都の西京極球場で行われた巨人―西武のオープン戦で私は球審を務めさせてもらいました。この試合の西武先発は皆さんご存じの“平成の怪物”松坂大輔投手でした。世間では松坂フィーバーで話題になりまくっていましたから、こちらも注目していました。果たしてどんなボールを投げるんだろう。そういった期待を持って試合に臨んだことを覚えています。
98年の甲子園では横浜高のエースとして春夏連覇。夏の決勝では京都成章を相手にノーヒットノーランを達成したスーパースターです。ただ、世間では松坂投手の実力に懐疑的な声もあった時期でした。オープン戦であっても結果が出なければ「やっぱりまだまだ高校生」という評価になります。
この試合で松坂投手は先発で4イニングを投げ、8失点のメッタ打ちを食らいました。高橋由伸選手にはホームランも浴び、翌日のスポーツ紙では「癖が出ている」だとか「フォームが悪い」など酷評する評論家もいました。
にもかかわらず、当時の報道資料によると松坂投手は“打たれることは想定内”といったニュアンスの余裕のコメントを残しています。当時の雑誌記事でも、あの試合で松坂投手は抑えにいく投球をあえてしなかったと記載されています。今になってみれば、松坂投手は1年目から16勝を挙げて実力を示したわけですが、オープン戦で注目される中、巨人打線に打ち込まれたことで懐疑的な論調が勢いを増していきました。
実際に球審として私が見た松坂投手は、松坂投手ご本人が残した自信のコメント通りで「これは大したものだな」と思ったのが事実です。夏の甲子園決勝でノーヒットノーランを決められた京都成章ナインの皆さん、何も恥ずかしがることはないですよというボールをしっかり投げていましたから。
その試合で松坂投手をリードしていた西武のベテラン選手・伊東勤捕手に私はこう話しかけたことを覚えています。「これはモノになるやろね。ひょっとしたら2桁勝つ可能性もあるんじゃないかな」。伊東捕手は「いやいや」と謙遜していましたが、私は後ろから見ていてそう感じたのですから、お世辞ではありません。
まず、高校生のルーキーがキャンプ初日から練習を重ねて、オープン戦の時期に一軍に残ってしっかり投げられていることだけでもすごいことです。その上、自滅するわけでもなく打たれていたとしても、しっかり自分の投球をしていたことが見事でした。
その後、オープン戦5度目の登板となった3月28日の横浜戦で、松坂投手は実力を発揮しました。前年の日本一チームが誇る「マシンガン打線」を相手に6回1失点、11奪三振と結果を残します。高卒新人投手のオープン戦2桁奪三振は史上初めてのことだったそうですね。抑えにいけば抑えられるということを証明してみせたわけです。
初めて私が目撃した松坂投手に対しての見立ては間違っていませんでした。












