【平成球界裏面史 近鉄編103】近鉄バファローズ最後の年、平成16年(2004年)の守護神候補として来日した助っ人右腕・ヘクター・カラスコ。最速154キロを誇る豪腕は評判通りで、メジャー498試合登板という実績も折り紙付きだった。
ドミニカ出身の陽気でシャイなラティーノ。頭にバンダナを巻き「俺の事をランボーと呼んでくれ」と、ハリウッドスターのシルベスタ・スタローンの主演映画を連想させるいでたちで、ジョークを飛ばし周囲の笑いを誘う明るいキャラだった。
当時の近鉄は平成13年(01年)にリーグ優勝した当時に活躍した大塚晶文、岡本晃、三澤興一の救援3投手のうち、大塚、三澤が他球団へ移籍。残った岡本も勤続疲労で本来の姿を取り戻せないでいた。リリーフ陣の整備が必至でカラスコはその目玉だったのだが、期待通りには行かなかった。
オープン戦までは良かった。評判通りの快投ですんなり守護神に当確。そのままシーズンでも波に乗りたかったところだが、シーズン登板2試合目で2被弾を喫しるなどセーブ失敗を繰り返し、4月末には出場選手登録を抹消されてしまった。
ただ、カラスコは真面目だった。二軍では腐る事なく再調整にいそしみ徐々に調子を上げていった。「夏ごとには本来の状態に戻してみせる」と話していたとおり、7月には快投を連発した。月間20イニングを投げ失点1の無双状態。月間防御率0・45と驚異的な活躍でチームを救った。ビハインドでも回またぎでも、投げては抑え投げては抑えの連続で、梨田監督から再び守護神に指名される流れとなった。
カラスコが二軍調整していた期間には福盛和男が代役としてストッパーを務めていた。助っ投の一軍復帰以降もその役割は変わらなかったのだが、配置転換が決まった後に歯車が狂った。守護神・カラスコとしてマウンドに立つと好投と炎上を繰り返す悪循環まで復活。すると、中継ぎに回った福盛も調子を落とし近鉄の上位浮上はかなわなかった。
カラスコの最終成績は8勝8敗5セーブ、防御率5・57。何とも言えない評価の難しい数字が並ぶ。チーム勝ち頭の岩隈久志が挙げた15勝は圧倒的だが、規定投球回数に達したローテ投手で岩隈に次ぐ数字を残したのはジェレミー・パウエルで8勝。となると、中継ぎにクローザーにと奮投し8勝したカラスコも立派と言える。
だが、開幕から期待された守護神という役割を全うできなかったという点では、助っ人の評価は落ちてしまうのが自然だろう。
このシーズンの近鉄は6月の合併報道の後、野球に集中しなければいけないとはわかってはいても集中できない状況が続いた。近鉄の選手会は礒部公一選手会長らを中心に合併阻止のため署名活動などを精力的に行った。球界全体でも2試合のストライキを経験した。
カラスコはそんな中、メジャー時代の自身の経験を話しスト決行に際して選手会に助言を送った。外国人選手とあってプロ野球選手会所属ではないが、合併反対の署名活動にも率先して参加した。
在籍は1年間と短期間だったが、チームメートやファンの印象に残る個性的な豪腕だった。















