【橘高淳 審眼(24)】審判員としての仕事を積み重ねていくうち、徐々に責任の重いポジションを経験させてもらうようになっていきました。3年目の1987年には左翼外野審判として一軍に初出場。4年目で三塁、二塁、5年目で一塁塁審という形で着実に場数を踏んでいきました。
そして6年目となった90年には一軍で球審を務めることになりました。セ・リーグの関西所属の審判員としてウエスタン・リーグ公式戦からスタートし、初めての試合で「ボーク」の声が出ず、宣告することができなかった。そこから5年後の自分を当時は想像だにできません。
審判員としての仕事を重ねていく中で、何か自信を持てるきっかけがあったのかなど聞かれますが、その答えには迷います。以前にも、このコラムで書かせていただきましたが「もうこれで大丈夫」と思った瞬間などもないですし、逆に「自信がない。自分はダメだ」という感覚に悩まされたこともありません。
とにかく球審を務める時には、ストライクゾーンを安定させるということを徹底して意識しました。打者の体格によってストライクゾーンの高低に違いはありますが、幅は変わりません。少しでも違和感なく、間違いを少なく安定させることを心掛けていました。塁上でのアウト、セーフの判定も間違えないようにと意識はしていましたが、一番意識していたのはストライクゾーンの安定でした。
二軍で審判をしていた時代は、その時代に活躍していた一軍投手のボールを普段から見ることはできませんでした。なので、春季キャンプに入ると、相手さえ嫌がらなければ積極的にブルペンに入り、投球練習を何百球も見させてもらいました。独特の球筋や変化球を持つ投手もいましたからその都度、勉強になりました。
実際の現場では意識をしていても全てがうまくいくわけではありません。ストライク、ボールの判定に関して、自分が明らかに「しまった」と思ってしまうコールをしたこともあります。そうすると打者も当然、反応しますよね。口では言わなくとも「今のがストライク?」というリアクションをするので分かります。
そういった場合は必ず修正するようにしていました。投手、打者、捕手とそれぞれにストライクゾーンの感覚というものを持っています。その認識の乖離(かいり)が少ないほどいいわけです。
私が自ら「ボール」と判定した投球でも「しまったストライクやったな」というボールもあります。それでも捕手が黙ってボールを投手に返して「今のいけません?」と聞かれたら「うん、次(ストライクに)取る」みたいなコミュニケーションはありましたよ。やはりそこは人間ですから。
私が一軍で球審として出場を始めた90年のころ、セ・リーグでバリバリだった巨人の投手がいました。これはもう球審としてはありがたい、判定しやすい投手でした。ほとんどのボールがホームプレートの上を目がけて飛んできます。ということはすなわち、打者もバットを出します。バットを振らせてくれる投手はやりやすいですよね。












