【橘高淳 審眼(25)】私が一軍のゲームで球審を初めて経験したのが審判6年目の1990年です。その当時は巨人・斎藤雅樹投手が全盛期でした。実力がありながら伸び悩んでいた時代もありましたが、89年に一気に開花した右のサイドスロー投手です。

 古い野球ファンの方々なら記憶していないはずはないです。89年は3試合連続の完封勝利を含む11試合連続の完投勝利という日本記録を樹立。20勝を挙げて沢村賞を受賞しました。このシーズン、30試合全て先発で登板し21試合で完投ですよ。防御率は1.62の安定感で投球イニングに至っては245回という驚異的な数字です。

 その翌年、90年も勢いは止まりませんでした。登板27試合全てに先発。8試合連続完投勝利を記録するなど19完投、20勝5敗、防御率2.17の成績です。最多勝、最優秀防御率、最高勝率、MVP、ゴールデン・グラブ、ベストナインなど賞レース総ナメの状態でしたが、沢村賞は近鉄の野茂英雄投手にさらわれました。当時は昭和から平成へと時代が移り変わる頃でした。斎藤投手は「平成の大エース」と呼ばれていました。

 球審の立場からすれば、制球力が高い上に空振りを取れる投手は助かるんです。ホームプレート上に投球が来れば打者は振ってくる可能性が高い。空振りをすればその投球というのは全てストライクですから、判定で困るということはありません。ホームプレートの方向にボールが向かってきて、グッとキレ良く軌道を変えるボールは素晴らしかったですね。

 特に右打者からすれば外角のストライクゾーンをかすめるように向かってきて、ボールゾーンに逃げていくスライダーは脅威だったことでしょう。審判として後ろで見ていても見事なものだと感心したものです。

 それでも、どんな選手に対しても言えることではありますが、晩年になってくると当然、力が落ちてくるんです。これまでは打者の手前でギュンと曲がっていた変化球だったはずが、少しずつ曲がりが早くなる。そうするとプロの打者はしっかり見極めてくるわけです。今までは空振りを取れていたボールが見逃されてボールとなってしまいます。すると、一気に投球の幅が狭まることになります。

 審判室ではことさら、一人の特定の選手にフォーカスした会話などはしません。それでも、選手に対して共通の認識を持った場合などは話題にはなります。「〇〇投手、調子悪いな。仕上がらんなあ」などというように。

 シーズン中であれば目が慣れてきていますので、速いボールや鋭い変化球にも驚くということはありません。いいボールが来ているな、すごい変化球だなとは思いますが球筋を見失ってしまうようなことはないでしょう。

 ただ、キャンプ序盤などはこちらもプロの生きたボールに対して目が慣れていませんから「ん? アレ?」という思いをしたことはあります。

 次回は私が落合博満監督が率いた中日の沖縄・北谷キャンプのブルペンで経験したことをお話ししたいなと思います。