【平成球界裏面史 近鉄編95】平成19年(2007年)、元近鉄戦士のタフィ・ローズは〝青いバファローズ〟の一員として大暴れを果たした。平成18年(06年)はメジャー復帰を目指すもオープン戦でマイナー降格が決まり、一度は引退を決断。それでも1年のブランクを乗り越え、引退を撤回しNPBに復帰した。

逆転サヨナラ打を放って大喜びのローズ(2008年9月)
逆転サヨナラ打を放って大喜びのローズ(2008年9月)

 オリックス・バファローズの一員としてプレーし、ブランクを感じさせない打棒を発揮。NPB通算400本塁打、1500安打、1000打点など節目の記録を次々に達成。シーズン42本塁打を記録し、平成16年(04年)以来の本塁打王にも肉薄した。

 結果的にローズは左股関節を故障し、9月後半に戦線離脱。43本塁打を記録した楽天のベテラン・山崎武司に1本差でホームランキングをさらわれた。ただ、長打率6割3厘は両リーグトップ。出塁率4割3厘、88四球、147三振はパ・リーグトップの数字でローズらしさを存分に発揮したシーズンとなった。

山崎武司(2007年8月)
山崎武司(2007年8月)

 そうなれば、平成20年(08年)の活躍に期待が集まるというもの。このシーズンは元ヤクルトのグレッグ・ラロッカ、元西武のアレックス・カブレラがオリックスに勢ぞろい。テリー・コリンズ監督が「ビッグボーイズ」と名付け、開幕にはこの3人の名前がスタメンに並んだ。当時のシーズン日本タイ記録の55本塁打をともに経験しているローズとカブレラ。さらに、カープ時代の平成16年(04年)に40本塁打、101打点をマークしたラロッカが居並ぶ打線は他球団投手陣にとっては脅威だったはずだ。

 余談だが当時、オリックスが主に練習に使用していたスカイマークスタジアム(現在のほっともっとフィールド神戸)の近くにはアメリカ発祥のファミリーレストラン「BIG BOY」が存在した。当時の球団関係者は「ビッグボーイから広告費もらわなあかんなあ」などと話すなど、何かと話題にはなった。だが、超重量打線というものには弱点もあるのが世の常。チームの滑り出しは芳しいものではなかった。

 4月は投打のバランスがかみ合わず開幕ダッシュに失敗。チームは最下位スタートと低迷した。5月途中にはコリンズ監督が辞任する緊急事態。そこに大石大二郎ヘッド兼内野守備走塁コーチが代行監督として、就任したが前途多難を多くの球界関係者が予見していた。

 だが、予想に反して後半戦はオリックスが急激にペースを上げた。ラロッカは故障離脱してしまったがローズ、カブレラは高レベルの成績を維持。新人王に輝いた小松聖の15勝の躍進もあり徐々に順位を上げていった。終わってみれば首位の西武に2・5ゲーム差の2位でフィニッシュ。球団としては初のCS進出を果たした。

恒例の「キタ~」を叫ぶ小松聖(2008年9月)
恒例の「キタ~」を叫ぶ小松聖(2008年9月)

 このシーズンのローズは4月12日の楽天戦でレロン・リーが保持していた1579安打の外国人選手の通算最多安打を更新。10月1日のソフトバンク戦では左腕の杉内俊哉から40号本塁打を放ち、年齢40代での40号を記録した。最終的に40本塁打、118打点で自身3度目の打点王を獲得。相棒のカブレラも打率3割1分5厘、36本塁打、104打点と打棒を発揮しチームをけん引した。そこに代打で清原和博がいたという、ぜいたくな打線の中心には元近鉄のローズが君臨していた。

忍者のように清原に忍び寄るローズ(2008年2月)
忍者のように清原に忍び寄るローズ(2008年2月)