【平成球界裏面史 近鉄編94】平成19年(2007年)、タフィ・ローズは再び〝バファローズ〟のユニホームを身にまとった。とはいえ、愛着のあるトリコロールのユニホームではない。近鉄と合併したオリックス・バファローズの青いゲームジャージだった。

交流戦で中日・中村紀洋と再会したローズ(2007年6月)
交流戦で中日・中村紀洋と再会したローズ(2007年6月)

 近鉄時代の盟友だった中村紀洋がオリックス在籍時に着用していた背番号は8を背負い、入団会見に臨んだ際には「ただいま~」で「つかみ」にも成功。球団通訳は近鉄時代から名コンビを組んでいた藤田氏とあって、コミュニケーションに苦労することは皆無だった。

 2月の沖縄・宮古島キャンプにテスト生として現れた時には余裕の100キロ超えで、調整不足が心配された。1シーズン丸々、生きたボールを見ていない実戦感覚にも不安が残った。しかし、体重問題に関してはキャンプ中の猛トレーニングでクリア。実戦感覚はオープン戦を重ねる中で徐々に取り戻していった。

なぜか通訳のメガネをかけてみるローズ(2007年2月)
なぜか通訳のメガネをかけてみるローズ(2007年2月)

 オリックスバファローズのファンも近鉄時代の曲を踏襲したヒッティングマーチで歓迎してくれた。近鉄時代には歌い出しが「今進め男タフィ」から始まったが、オリックスでは「また進め~」と歌詞をマイナーチェンジ。さらに「よみがえる感動」というフレーズを入れ込み、NPB復活という意味を強調した。

「新しいチームに移籍してきたというか、日本に戻ってきた感覚というか、不思議な感じがするね。打席に入る時は近鉄時代と同じメロディーで応援してもらえるし、受け入れてもらえていると感じたよ」。当時のローズはオリックス・バファローズの一員として戦う感覚をこう表現していた。

 チームにもなじみ、コンディションが整えばローズに怖いものはなかった。神戸市内のマンションからの通勤はバイク、自家用車でお手のもの。住み慣れた関西で道に迷うこともなかった。平成16年(04年)から17年(05年)の巨人時代に順調なら達成していたであろう節目の記録を、どんどん達成していった。

 4月4日のロッテ戦では小野晋吾から右越えに4号2ランを放ち、NPB史上28人目、外国人としては初となる1000打点を達成。5月10日のロッテ戦では1354試合出場を記録し、オリックスの前身である阪急OBのロベルト・バルボン氏が持っていた外国人選手最多出場試合記録を更新した。

上原を呆然とさせる特大弾を放ったローズ(2007年5月)
上原を呆然とさせる特大弾を放ったローズ(2007年5月)

 5月27日の交流戦・巨人戦では延長11回の表に上原浩治から、かつて本拠地にしていた東京ドーム右翼スタンドに決勝2ランを記録し「全球団本塁打」を達成。6月30日の日本ハム戦では江尻慎太郎から通算1500安打となる右前打を記録した。

 さらに、8月7日のロッテ戦では久保靖友から左越えソロを放ち3000塁打を達成(外国人初)。さらに、さらに平成19年の締めくくりは9月2日のロッテ戦で薮田安彦から中越えに放った通算400本塁打。NPB史上14人目、外国人では初となる大台を突破した。

 テスト生としてキャンプ地の宮古島を訪れた時、「さすがのタフィも、もう無理やろう」と予想していた球団関係者も多かった。だが、終わってみれば42本塁打96打点の結果に「さすがタフィ」と手のひらを返した人物が何人いたかは数えようもない。

外国人初の3000塁打を達成し花束を受け取るローズ(2007年8月)
外国人初の3000塁打を達成し花束を受け取るローズ(2007年8月)