【平成球界裏面史 近鉄編64】平成27年(2015年)は日本人メジャーリーガーとして2人目のノーヒットノーランを達成。このニュースは即座に日本にも届き、世間の話題をさらった。だがこのシーズン、岩隈久志は本調子ではなかった。
4月に背中を痛め負傷者リスト入り。シーズン20登板にとどまり、規定投球回に達することはなかった。それでも9勝を挙げたことはさすがだが、調子の波が大きかった。防御率はメジャー移籍後ワーストの3・54。こちらも立派な数字ではあるが、徐々に岩隈の肉体には疲労が蓄積していた。
11月2日にはFAとなりドジャースから獲得のオファーもあった。だが、フィジカルチェックを受けた後に契約は白紙に。最終的にマリナーズに1年契約で残留することが決まった。
平成28年(2016年)にはメジャー移籍後自己最多タイの33試合に登板し、同最多となる16勝。しかし、防御率は自己最低の4・12と陰りが見え始めた。翌年の平成29年(2017年)は開幕から調子が上がらず、5月には打球を左ヒザに受けて戦線離脱。その後は右肩の炎症が見つかり負傷者リスト入りとなった。
何度かメジャー復帰のチャンスがあったことは事実だ。ところが、そのたびに不調に陥るなど機会を逃した。9月19日にはシーズン中のメジャー復帰を断念。右肩のクリーニング手術を行うことを決断した。
近鉄時代から悩まされてきた右肩の故障。長年、付き合ってきた難敵は現役晩年の岩隈にも容赦なく襲いかかってきた。平成30年(2018年)はチームが試合をどんどん消化していく中、岩隈は孤独なトレーニングを繰り返した。ナインが球場入りする前に、ひっそりと静かな球団施設で復帰を目指して患部の強化に努めたが、シーズン中の復帰は間に合わなかった。
マイナーの試合に登板するところまでは回復していた。だが、直球のスピードは140キロ台前半にとどまった。この現実を球団も本人も認めるしかなかった。マリナーズ一筋、メジャー在籍は7年間。通算150試合に登板し136試合で先発。63勝39敗、防御率3・42の成績を残した。30試合以上に先発している日本人メジャーリーガーの中では岩隈の防御率がナンバーワンという事実は勲章だろう。
岩隈は平成21年(2009年)のWBCでチームメートとして戦った偉大な先輩と同じフィールドに立つことが夢だった。ただ、岩隈が海を渡った時期にはヤンキース、マーリンズに所属しており、現役として同じユニホームでプレーすることはかなわなかった。
平成30年(2018年)9月26日、セーフコ・フィールドでのアスレチックス戦の試合前に岩隈は始球式を行った。捕手を務めてくれたのは、マリナーズに戻ったイチロー氏だった。この投球が岩隈にとってシアトル最後のマウンドとなった。
近鉄バファローズが消滅してからすでに14年の歳月が経過していた。この時点で近鉄バファローズ出身の現役選手はヤクルト・坂口智隆、近藤一樹と岩隈の3人のみ。このタイミングで平成31年(2019年)1月をもって近鉄バファローズ単体でのOB会が、歴史に幕を閉じることが決まった。
近鉄最初の大リーガーは野茂英雄。近鉄最後の大リーガーは岩隈久志。メジャーでのノーヒットノーラン達成者もこの2人のみ。近鉄は輩出したけうな才能が海を越えて実力を証明してきた。なぜ、こんな面白い球団が現在のNPBに存在しなくなったのか。不思議で仕方がない。














