【橘高淳 審眼(17)】1984年オフ、現役引退となった私は紆余曲折あり審判員の面接を受けることになりました。東京・銀座のセ・リーグ事務所に赴くと当時の富澤宏哉審判部長ら3人の面接官が、私を担当してくれました。

 富澤さんは今年、2025年の1月16日、野球殿堂入りされていますね。巨人時代の王貞治さんが当時の世界記録を更新する通算756号本塁打を達成した77年9月3日の巨人―ヤクルト(後楽園)で球審を務められていました。

 59年6月25日の後楽園球場で行われた天覧試合、巨人―阪神では左翼の外審(線審)を務められ、長嶋茂雄さんのサヨナラ本塁打を現場で目撃された人物ですね。そのほかにも数々の実績を残された大先輩です。

 そういえば、面接だけではなく作文も課題としてありました。恥ずかしながら、テーマは何だったのか、何を書いたかも覚えてはいませんが書いたことは事実です。

 11年からNPBの審判部は1つに統合され、現在もその状況のまま継続されています。私が採用された当時はセパ両リーグ別々で関東所属、関西所属で分かれていました。作文には何を書いたか覚えてはいませんが、関西出身の私は採用されるなら関西所属が希望であることは記入した記憶はありますね。

 当時のセ・リーグ審判部はプロ野球選手出身の人材が審判になることを推していたようです。セの6球団には、その年に引退することになる選手から審判希望者を募るようにと話が伝わっていたそうです。この年は同期になる上本孝一君と私の2人が採用されました。受験者2人で合格者2人です。この2人はともに元プロ野球選手です。

 同じ日に面接を受け同期で審判員となった上本君は、85年シーズンから関東所属、私は関西所属の審判員としてそのキャリアをスタートさせることになります。私は3001試合に出場させていただきました。上本君は1412試合に出場し、そのキャリアを終えています。同期なのに半分?と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、これは彼が在職中に急死してしまったからなんです。

 06年の5月5日のことでした。前日にナゴヤドームでのデーゲームで一塁塁審を務め埼玉県内の自宅に帰宅。就寝中に心筋梗塞を発症し他界しました。43歳の若さです。朝になっても起きてこないということで様子を見に行くと…という状況だったそうです。亡くなった翌日、セ・リーグ3試合は半旗を掲げ、試合前には全選手、審判員で黙とうをささげました。

 95年4月15日、巨人の落合博満さんが2000安打を記録した時には球審を務めていました。96年8月11日の巨人―中日戦で中日・野口茂樹君がノーヒットノーランを記録した試合、02年8月1日の巨人―中日戦で中日・川上憲伸がノーヒットノーランを達成した試合でも球審を務めていました。

 採用の決まった上本君と私はプロ野球選手としての自分に区切りを付け、新たな審判員という仕事に備えて準備を開始することになります。