【橘高淳 審眼(11)】高校最後の夏、われわれは滋賀県代表として甲子園に出場しベスト4という結果を残すことができました。決勝戦を目前に早稲田実業の1年生・背番号11をつけていた荒木大輔君に完封され、私たちの高校野球生活は終わりました。

 悔しいというよりも正直、ここまでいったら十分だと思っている自分がいました。前年に滋賀県代表の比叡山高が残したベスト8という結果を超えることができましたし。3回戦ではプロ注目右腕の秋田商高・高山君を打って、ベスト8に進んだ事実もいい思い出となっています。

 夏の甲子園大会が終わると有力選手の進路に関する話題に注目が集まります。秋に行われるNPBのドラフト会議では誰が指名を受けるのか。前出の秋田商高・高山投手や横浜高・愛甲猛くんなどはドラフト1位候補として、高校野球の専門誌やスポーツ紙で大きく取り扱われていました。

 実はわれわれ瀬田工高にもプロのスカウトの方が視察に来られていました。私にも阪神、中日、ロッテと近鉄でしたか、4球団のスカウトの方が見に来てくださっていたと聞いています。その中で実際にお会いしたのは阪神の今成泰章スカウトです。阪神や日本ハムで活躍した今成亮太君が、今成スカウトの次男に当たります。

 そして、ドラフト会議の当日がやってきました。当時の目玉は若大将の愛称で人気を博した東海大・原辰徳内野手です。巨人、大洋、日本ハム、広島の4球団が競合し、抽選で巨人・藤田元司監督が当たりクジを引き当てました。そのほか、プリンスホテルの石毛宏典内野手が西武と阪急から重複指名を受け西武入りしました。

 われわれと夏の甲子園で対戦した高山郁夫君は、原さんを外した日本ハムから1位で指名されるも入団を拒否。社会人野球のプリンスホテルに進むことになり、4年後の1984年ドラフトで西武に入団することになります。

 高校時代に対戦した兵庫・瀧川高の石本貴昭君は近鉄のドラ1。横浜高の愛甲猛君はロッテのドラ1としてプロ野球の世界に入っていきました。当時のドラフト資料を見ていると、現代の野球ファンの方は指名数が少ない上に、どの球団も4人に限定されていて不思議に感じるかもしれません。

 当時のルールでは各順位ごとに指名希望選手を提出。重複があれば抽選を実施し、外れた場合は下位球団から再指名。最大指名人数が78年から80年までの3年間は1球団4人以内と定められていました。

 私はこの80年ドラフトの選手たちと同期になるのですが、ドラフト指名された選手のリストには入っていません。当時は「ドラフト外」という方法があって、私はその方式で阪神に入団することになりました。今でいうドラフト5位以降は事実上、自由競争の状態です。

 この年、阪神はドラフトで指名した4選手の他に3選手をドラフト外で獲得しています。