【橘高淳 審眼(9)】1980年、私が在籍していた滋賀・瀬田工高は夏の甲子園に初出場しました。抽選の関係で2回戦からのスタートとなり、初戦は三重県代表の明野高に9―7で勝利。3回戦で大会屈指の右腕・高山郁夫投手を擁する秋田商高との対戦となりました。
のちにプリンスホテルを経て84年ドラフト3位で西武に入団する投手です。引退後もソフトバンクやオリックスで投手コーチを務めたくらいですから、高校時代はレベルが違いました。滋賀県内の強豪校と対戦していても、見たことのないボールでした。
我々も新チームになってから秋季県大会で優勝したこともあり、全国区の知名度のある高校とも練習試合をさせてもらい経験を積んでいました。春の選抜の後も強豪校との対戦を重ねました。そういったチームとの戦いでも勝利することができていましたので、我々もある程度の自信を持っていました。
2年生の時には四国遠征に行って高知高や明徳義塾との練習試合も経験しました。当時の明徳には河野博文投手、横田真之外野手とのちにプロとなる2選手が在籍していました。
河野投手は日本ハム、巨人などで活躍した左腕です。巨人・長嶋茂雄監督から「ゲンちゃん」とニックネームを付けられ話題になっていました。横田外野手はロッテなどで活躍し打率3割を2度、記録した打者です。23年7月に28歳の若さで他界した元阪神の横田慎太郎さんのお父さんですね。
我々は明徳義塾にも勝利していました。同校の松田昇監督には「(瀬田工の)あの2人の投手がいれば甲子園で勝てるよ」と評価していただきました。甲子園に出られるではなく、勝てると言われたんです。そうなると我々の監督も自信がつくというものです。
それでも、秋田商高の高山投手のカベは分厚く感じていました。ボロ負けしなければいいかという気持ちすら持っていました。それでも、野球というものは実際にやってみないと分からないものです。
瀬田工高の先発はエースで実戦タイプの布施君でした。球速はそこまでではないのですが、右のサイドスローで制球力に優れていました。3回戦の秋田商高戦では好調でコーナーにボールがビシビシと決まりました。秋田商打線は高山投手の快速球ばかり見ていたから、錯覚を起こしたんですかね(笑い)。5回まで0―0という展開でした。
6回、四球と二盗、三盗、パスボールで瀬田工高が先制すると、7回にも適時二塁打が出て3―0とリードします。なんと、そのまま布施君が2安打完封で秋田商高から勝利を挙げることができました。高山投手は本調子ではなかったとは思いますが、我々は準々決勝にコマを進めました。
ベスト8で対戦することになったのは静岡県代表の浜松商高でした。地元では「浜商」の愛称で呼ばれていて、2年前の78年の春の選抜で全国制覇も経験している名門チームでした。しかし、野球は何が起こるか分かりません。戦前には予想できない試合展開が待っていました。












