【橘高淳 審眼(10)】高校3年の夏、甲子園の舞台に立ち準々決勝にコマを進めました。3回戦ではプロ注目の右腕・高山郁夫投手を擁する秋田商高に3―0の完封勝利を収め、ベスト8となり浜松商高と対戦することになりました。

 この試合は静岡大会で登板した試合全てで無失点だった2年生エースが疲労のため先発回避。代わって先発した投手が四球を連発する大乱調でした。急きょ、初回途中からエースを投入するも試合をつくることができません。2回までに7―0と瀬田工高がリードする展開となってしまいました。

 試合は20―5という結果となり我々はベスト4進出。試合後に整列し、浜松商高ナインとあいさつした時には「君たちは強いな。ウチは(次の対戦相手となる早稲田実業に)勝っているから次も勝てるよ」と声を掛けてくれました。

 続く準決勝は8月20日、第1試合が神奈川県代表の横浜高と奈良県代表・天理高の戦いでした。横浜の3年にはのちにロッテに進む愛甲猛君、天理の2年生にはのちにソフトバンクの監督になる藤本博史君が在籍していました。

 この試合を制したのは横浜高でした。さあ、横浜との決勝戦を目指して我々は第2試合に臨む予定だったのですが、悪天候のため21日に順延。思わぬ形で仕切り直しとなりました。

 真夏の連戦を回避できたことがプラスに働くか。瀬田工高のエース・布施君は登板間隔が1日空いたおかげで、ボールが速かったんです。私のミットにいいボールをビシビシと投げ込んできました。ひょっとしたら勝てるんじゃないかな。そんなふうに思ったんですが間違いでした。

 対戦相手の早稲田実業高の投手はあの荒木大輔君でした。連続イニング無失点を続ける1年生エースの存在は話題になっていました。その1年夏から5季連続で甲子園に出場し、荒木大輔君は「大ちゃんフィーバー」という社会現象を起こしましたからね。1982年ドラフト1位でヤクルトに入団したのは、野球ファンなら皆さんご存じでしょう。

 我々は初回表に1点を先制されてしまいました。好調だと思っていた布施君は制球力と緩急が武器なのにストレートが走り過ぎて、逆に打ちやすくなってしまっていたのかもしれませんね。瀬田工高もその裏に二死二、三塁のチャンスをつかみましたが無得点。そこからは一気に早実ペースになってしまいました。

 布施君が2本の本塁打を許すなど、終わってみれば0―8の完封負けです。荒木大輔君は4試合完封で連続イニング無失点を44回1/3に伸ばしました。ただ、我々も荒木君に7安打することができました。かなり疲労がたまった状態だったとは思いますが、それはいい思い出です。

 決勝戦を目前に私の高校野球生活は終わりました。でも正直、ここまでいったら十分だと思っていました。前年に滋賀県代表の比叡山高がベスト8に進出して、それを超えることができましたしね。秋田商高の高山君を打ってベスト8、さらにその先にまで進めたんですから。