【キューティー鈴木・白い青春(18)】私には最愛の友がいました。ジャパン女子プロレスに入ったときから一緒にいたデビュー戦の相手で、ともに同じアルバイトをするなど、いつも一緒にいたプラム麻里子は1997年8月16日に亡くなりました。私より2歳上で生きていたら今年で57歳。今でも同期の尾崎(魔弓)、(ダイナマイト)関西と集まると麻里ちゃんの話をしますね。今でも私たちは親友で一生の仲間です。
亡くなった日もいつもと何も変わらない日常を過ごしていました。巡業中でみんなはバスで広島に前乗りだったけど、麻里ちゃんが「新幹線で行こう」って言うから、大会当日の朝に東京から広島まで新幹線で向かったんです。大会で私はメインイベントで麻里ちゃんたちはセミ。何事もなく試合が終わって自分の試合だと思っていたら、尾崎が「ちょっと麻里ちゃんが変なんだけど…」って言うので、見に行ったらいびきをかいて寝てるようでした。声をかけても反応はなくて、すぐに救急車を呼んでもらって病院に搬送されました。
大会が終わった後、病院に駆けつけました。すでに手術を終えていたので亡くなるなんて思っていなかったんです。病室で看護師さんから「たまにこちょこちょしてあげてください」って言われたので、みんな寝ないで麻里ちゃんのそばにいました。それでも全く起きなくて、次の日も試合でもう帰らなくちゃいけない時間になり「とりあえず、また来るね」って病院を後にしたんです。その後、新幹線で移動中に私がふと目を覚ますと、誰かが泣いていて「麻里ちゃんが亡くなったって」と聞かされました。信じられなくて。心が無の状態になってしまって。それでも涙が止まりませんでした。
次の日の後楽園は、昼夜続けての2大会。1日がすごく長い感じ。しかも、その日はキャンディー(奥津)ちゃんの引退試合でもあったので「しっかり送り出してあげないと」っていう気持ちもあったけど、麻里ちゃんがいないことが受け入れられなかったです。
それからお通夜、お葬式があり、またすぐ巡業があった。毎日ちゃんと眠れないし、お水をつけるだけで痛いぐらい肌がボロボロになっちゃって。心も体も限界の状態で巡業に出掛けましたが、ずっと麻里ちゃんの話しかしてなかったな。
麻里ちゃんは手相占いが好きで「長生きする」と言われたって喜んでいたんですよ…。それにはやりもの、カラオケが大好きでした。麻里ちゃんが「行きたい」って話していた場所を通るたびに「行っとけばよかったな」と思ったし、だからこそ「やれるときに何でもしなくちゃいけないな」って。それから少し時間がたち、私自身も「引退」を考え始めるようになりました。













