【キューティー鈴木・白い青春(16)】1992年ごろから女子プロレスは対抗戦ブームに入りました。対抗戦ってファンの方も「あの団体に負けるもんか!」みたいに気持ちが乗るから、選手との一体感がすごいんです。プロレスって個人戦だけど、対抗戦はチームで戦っているような感覚で私も毎回、気合が入ってましたね。
いろんな選手と組んで戦いましたけど、長与千種さんとタッグを組んだことは、私がプロレスラーになってよかったなと思ったことの一つです。89年に現役を引退したチコさん(長与)と触れ合う日が来るなんてまったく考えていなかったんですが、93年11月の後楽園ホール大会で行われたチコさんの4年ぶり復帰戦でタッグを組むことになったんです。
私が中学生のとき、女子プロレス界を席巻していたクラッシュ・ギャルズ(長与&ライオネス飛鳥)と組むなんて「夢かな」って思ったくらい驚きで。大会の直前には特訓をやってもらったんですけど、緊張のあまりずっと震えてました。特訓中も全ての動きがかっこいいし、アドバイスくださるときも「自分だったらこうするかな」みたいな口調でいちいち優しかった。
大会当日も「自由にやりな」って言ってくださって。でも試合で私が何をしても、全部チコさんがおいしい試合になっていく。それが「長与千種」の魅力なんだなと思いましたね。あとチコさんとタッグを組んで、プロレス人生で初めて黄色い声援を浴びたんですけど、それが気持ちよくて。自分がプロレスファンだったときに憧れた「キャーッ」ていう声に感動しました。まあ、誰一人私に向かって声援を送ってくれた人はいないんですけどね。
その5か月後、尾崎(魔弓)や(ダイナマイト)関西とかJWPの選手一人ひとりとチコさんがシングルで戦うことが決まり、94年3月の後楽園大会で激突することになったんです。それもプロレス人生で初めてとなるメインイベントとして組まれたんです。中高時代の友達も呼んで、もう気合入りまくり。もちろん憧れとかも捨てて全力で戦う決意でリングに向かったんですけど…48秒で負けました。後頭部を思い切り蹴られて何が起きたのかもわからないまま。試合終了のゴングが鳴っていました。1分も同じリングに立っていられなかったあの悔しさはいまだに思い出します。
試合後は「蹴りを使う人はずるい!」とか「反則!」ってレフェリーに必死に訴えてました。負けたから仕方ないけど、もうちょっとチコさんと試合がやりたかった。その後もずっとリベンジしたい気持ちはあったんですけど、試合が組まれることはなかった。そのうちに対抗戦にお客さんも飽きてきちゃって、ブームも下火になっていきましたね。













