【キューティー鈴木・白い青春(13)】私がデビューしたジャパン女子プロレスは1992年1月に解散しました。団体がなくなったのと同時にプロレスを辞めようとも考えていましたが、設立される新団体のJWP立ち上げに参加。2月に旗揚げメンバー7人で新団体発足の記者会見を実施しました。
その後、千葉で約1か月の合宿。朝から晩まで走って、スパーリングして練習漬けの毎日でした。芸能のお仕事があるときは練習を抜けて、終わったら合宿所に戻ってまた練習。つらかったし、また団体がつぶれちゃうかもと、不安になることもありました。でも後輩と仲良くなり、新しいものを生み出す楽しさもあり、今までで一番充実した日々でしたね。合宿では新人オーディションも開催し、入ったのはキャンディー奥津でした。
合宿を経て結束力を固めた8人は92年4月3日、後楽園ホールで旗揚げ記念興行を行いました。私は長かった髪の毛をバッサリ切り、今までの真っ白のコスチュームから真っ黒のコスチュームに変更し、2度目のデビュー戦に臨みます。お客さんの温かい声援でJWPが受け入れられていることを実感し、少し安心しましたね。
ただ一つ問題があって。無事に旗揚げできたんですけど、人数が少なかったので試合数が足りなく、みんなが1大会で2試合を戦うことになっていました。大体1試合目でシングルかタッグ戦をした後、メインでは全員参加の8人タッグマッチ。時には異種格闘技戦をしたり、尾崎(魔弓)がストリートファイト戦をやったりしてたな。
私も異種格闘技戦で空手家と戦うことになり、初代タイガーマスクの佐山聡さんの道場で練習をつけてもらいました。テレビで見ていたタイガーマスクのとりこだったので、練習の話を聞いたときは恐れ多くて「私でいいのかな」って。でも実際にお会いしたら、とても優しい方で、一生懸命パンチのスパーリングの動きを一つひとつ丁寧に教えてくださったことは覚えています。
JWPの旗揚げは私にとって転機だったと思ってます。16歳でこの業界に入って決められたことをこなすことに必死でした。プロレスラーになることは自分が選んだ道だけど、自分でつくってきた道ではありません。でもJWPを旗揚げし「自分が引っ張らなくちゃ!」っていう責任感が初めて芽生えたんです。より芸能のお仕事にも力を入れて、観客数に貢献できるよう会社に意見も言うようになりました。
それに女子プロレスの頂点である全日本女子プロレスに対する心情も変わりましたね。業界の中で別格のような存在ではあることは変わらないけど、戦ったら負けないという根拠のない自信みたいなものはあったかな。













