【平成球界裏面史 近鉄編44】平成27年(2015年)オフ、オリックスから戦力外同様の評価を叩きつけられた坂口智隆。即答で自由契約を選択し、ヤクルト入団という流れになった。これにより近鉄出身の合併球団オリックスバファローズ在籍選手はゼロとなった。
坂口は苦境をチャンスとし平成28年(2016年)シーズンでは外野のレギュラーとして活躍。引退危機から一転、V字回復で野球選手として新境地を拓いた。
平成29年(2017年)は136試合に出場し打率2割9分、4本塁打、出塁率3割6分4厘。チームは3年ぶりのリーグ最下位に沈んだが、チーム内で確固たる立場を築いた。
外様ながら坂口がチームに与える影響は大きかった。それはヤクルト関係者も認めるところだ。後に高津臣吾監督が「君の姿を若い選手たちに見せてくれ」と言わしめたほど、坂口が野球に取り組む姿は真摯だ。ベテランの域に達し、古傷や普段の体調と向き合いながら試合に出続ける姿勢は若燕の手本となっていた。
「何があっても試合に出られる状態なら出る。休んどったら誰かに取られる。『(骨が)折れてなかったらいけるやろ』という近鉄時代の先輩らの声に『いや」むちゃやろ』って思ったこともありましたけどね。近鉄の先輩たちから、泥臭いというか、そういうプロとしての根性は学びましたね」
2年しか着用しなかった近鉄のユニホーム。それでもオリックス、ヤクルトとプロで長くユニホームを着続けるうちに「近鉄イズム」を大切に感じるようになっていった。チームは消滅しても「いてまえ魂」をつなぐことの大切さを実感するようになった。
17年シーズン終了後の契約交渉では、5年ぶりに1億円プレイヤーへ返り咲いた。戦力外扱いで放出されたオリックスを結果で見返した。
平成30年(2018年)はヤクルト出身でMLBでも6シーズンプレーした青木宣親(前年までメッツ外野手)がチームに復帰することが決まった。生え抜きのスター選手の復帰にヤクルトファンも大いに沸いた。
当時の小川淳司監督は青木を中堅のレギュラーとして迎え入れる構想を打ち出していた。すなわち坂口とポジションがかぶってしまう事態となった。当時のヤクルト外野陣は中堅に青木が入れば左翼がバレンティン、右翼が雄平(高井)とほぼ固まっている状況。それでは坂口は…となるのだが、このピンチも坂口はチャンスに変えていくことになる。















