【平成球界裏面史 近鉄編43】平成27年(2015年)に合併球団オリックスバファローズを退団した最後の近鉄戦士・坂口智隆。04年の近鉄消滅から11年後には、楽天にもオリックスにも近鉄出身の現役選手は誰もいなくなった。

つば九郎からひまわりを贈呈された坂口智隆(2017年6月)
つば九郎からひまわりを贈呈された坂口智隆(2017年6月)

 ただ、当時の坂口がそういった感傷に浸る時間などなかったはずだ。15年、当時のオリックス球団から野球協約の減額制限を大幅に上回る減俸か、自由契約かを迫られる戦力外通告同然の選択を強いられた。

 その結果、すぐさまオリックス退団を決めヤクルトへの移籍を決めた。ただ、15年のヤクルトといえばセ・リーグ制覇した強豪。トリプルスリーを達成した山田哲人やバレンティンらを擁する強力打線が看板のチームだった。

強力打線をけん引した山田哲人(左)とバレンティン(2019年9月)
強力打線をけん引した山田哲人(左)とバレンティン(2019年9月)

「オリックスにはレギュラーとして育ててもらって選手会長までさせてもらった。恩はもちろん感じています。ただ、必要とされて野球がしたかった。15年のシーズンは成績を残せなかった自分が悪かったと思っています。ただ、自分の中で(12年の)肩のケガを受け入れて現状の打撃フォームというのが見えてきた兆しもあった。また勝負したいと思って新しい環境に挑戦したというのはありますね」

 平成28年(2016年)はヤクルトの一員としてアピールが必要な立場だった。オープン戦19試合で打率4割1分5厘と結果を残し、狙って外野手のレギュラーを勝ち取った。

 シーズン開幕から主に1番、2番で起用され出塁にこだわってプレーを続けた。チーム最多の141試合に出場、オリックス時代の平成23年(2011年)以来となる規定打席にも到達。このシーズンの6月2日、日本ハム戦(札幌ドーム)で1000試合出場、同8日の楽天戦(Koboスタ宮城)では通算1000安打も達成した。

 ヤクルト移籍1年目となった平成28年(2016年)は打率2割9分5厘。155安打を積み重ね完全復活を印象づけた。兵庫県明石市出身で近鉄、オリックスでプレー。神戸市内に在住してきた坂口は生粋の関西人だが「東京、楽しいね。俺、意外になじんでるかも」と15年にはほとんどなかった笑顔もよみがえった。

にこやかにインタビューに応じる坂口(2016年2月)
にこやかにインタビューに応じる坂口(2016年2月)

 シーズンオフには背番号と同じ「42」を屋号に持つ神戸市内のスポーツダイニングで、プライベートで1000安打祝賀会を行った。高校時代に対戦した同級生、近鉄時代からのチームメート、オリックス時代の後輩らが集結し坂口の復活を祝った。

 店からプレゼントされた20万円相当の高級シャンパンを片手に「めっちゃうれしいけど、俺はシャンパン嫌いやねん!」と絶叫し笑いを誘った。オリックスを退団した前年からすれば天国から地獄。ヤクルト・坂口の快進撃はその後も続くことになる。

バッティング練習に励む坂口(2016年2月)
バッティング練習に励む坂口(2016年2月)