【達川光男 人生珍プレー好プレー(18)】1973年夏、県立広島商高、通称「広商」は夏の甲子園大会で16年ぶりの全国制覇を成し遂げました。同年春の選抜大会は準優勝で、結果だけを見れば強豪校が順当に勝ったように思われるかもしれませんが、その過程では今でも忘れることのできない“事件”が起きていたのです。
この夏は私らメンバーだけでなく、翌春のことも見据えてメンバー外の2年生10人がチームに帯同していました。その2年生たちが、どうにも許すことのできない反抗的な態度をとっていたのです。宿舎の旅館では従業員の方たちにあいさつしないし、靴やスリッパも脱いだら脱ぎっぱなし。注意しても態度を改めようとせず、旅館の女将からも「春は礼儀正しくていい生徒さんばかりだったのに…」と、あきれられたほどです。
広商は初出場の福島・双葉との1回戦に12―0で快勝。徳島・鳴門工との2回戦も3―0で勝ちましたが、チームのムードはどんどん悪くなり、大分・日田林工との3回戦の前にはピークに達していました。
さすがの迫田穆成(よしあき)監督も限界だと察したのでしょう。ひょっとしたら、宿舎で私たちが「どうしたもんか」と話し合っていたのを障子越しに聞いていたのかもしれません。「もう、やめじゃ」と言って練習を30分ほどで切り上げ、3年生には「おまえら、水を飲んでええぞ」と。当時は練習中に水を飲むなど御法度で、どう隠れて水を飲むかに腐心していたほど。監督から「水を飲んでいい」と許可されるなど初めてのことです。
宿舎に帰ると、迫田監督から「何があったか言うてみい」と事情聴取されました。我慢の限界に達していた私たちが「広商野球部員心得」に反する2年生の行動について報告すると、監督はこう言いました。「明日、負けて広島に帰ろう。履き物はそろえん、あいさつもできんチームが甲子園で優勝したらあかん」
広島からは応援団をはじめとした生徒や先生、保護者たちが泊まりがけで応援に来てくれる。そんな人たちの前で自分たちの野球をできずに負けて帰るのか…。そう考えたら宿舎で夕食に出たゲン担ぎのトンカツもろくにのどを通らず、涙が止まらなくなりました。
それでも広商は翌日の日田林工戦で0―2の2回無死満塁から川本幸生のスクイズで反撃し、大城登の四球を挟んでエースの佃正樹が2ランスクイズを決めて逆転。そのまま3―2で勝利しました。
このときに二塁から勝ち越しのホームを踏んだのが右前打で出塁した私で、改めて当時の記事を読み返してみたら「僕は足は早くないけど、日頃から練習していることだし、あんなプレーは決断次第でセーフになるもんだと思いますよ」とコメントしていました。よほど、うれしかったのでしょうね。
これでなんとか広商は全国制覇への道を突き進むのですが、個人的にはもう一つ忘れられない出来事がありました。高知商の鹿取義隆から本塁打を打った翌日、8月21日の埼玉・川越工との準決勝でのことです。












