【多事蹴論(80)】Jリーグの拡大路線がまさかの事態に発展した――。1993年に開幕したプロサッカーのJリーグは10チームで華々しくスタートした。試合はゴールデンタイムにテレビ中継されるなど、大ブームとなり、社会現象にもなった。大スターのFW三浦知良(オリベイレンセ)率いるV川崎(現東京V)が初代王者となり人気は加速。94年に平塚(現湘南)と磐田、95年に柏とC大阪がJリーグ入りした。そして96年には福岡と京都が昇格を果たし、16チームで戦うことになった。
中でもJリーグ初の九州勢クラブとして注目されたのは福岡だ。大舞台に向けて、横浜Mを指揮していた清水秀彦監督を招聘。V川崎から元日本代表DF都並敏史を補強しトップリーグを戦い抜く準備を進めていた。ただ後発クラブとしての悩みは深かったようだ。Jリーグ開幕戦に向けて福岡はオーストラリアで合宿を行っていたが、清水監督から衝撃的なコメントが発せられた。
「毎日が驚きの連続だよ。Jリーグに上がって選手たちは『プロだ』って言っているけど、とても戦える状況ではないね。特に体力がなさすぎる。若い子なんて腕立て伏せ4回目で『キツイ』と言い出すし、腹筋は30回もできないんだよ…」とため息交じり。合宿に臨んでいるものの、基礎体力づくりばかりで戦術練習にまで手が回らず、さすがの指揮官も嘆き節だ。
Jリーグが発足し、毎年チーム数を増やしていったが、プロで戦える実力を持つ選手の数は限られている。特にルーキー獲得では既存のJクラブが実績を生かして、有望な選手を獲得する一方、若い力を欲していた新興クラブは後手後手。それでも何とか入団にこぎつけた新人選手たちはクセのある選手ばかりでピッチ内でもピッチ外でも問題ばかりだった。
清水監督は「とにかくプロとしての姿勢がなっていない。メシの時間になっても集まらないし、アフターケアも注意しなければやらない。遠征に行くときの服装もスーツじゃなくて、今はやりのパンツ見せているやつがいたり、金色と銀色のズボンでチンピラみたいのがいたりね。本当に何とかしてほしい」と規律や常識がないイレブンにうんざりした表情だった。
清水監督はゼロからチームをつくり上げることに魅力を感じてオファーを受け入れた。ある程度の覚悟はしていたが、現状は想像をはるかに超えていたという。「普通のことから始めないといけない。何事も一から注意しなきゃいけないし、学校の先生とか風紀委員みたいなものでしょう」とし「優勝なんておこがましくて言えません」と白旗を掲げていた。
福岡のファーストシーズンは16チーム中15位で最下位は同時に昇格した京都だった。このころからJリーグの拡大路線によるレベルの低下が問題視されるようになっていった。 (敬称略)












