【多事蹴論(76)】日本代表ユニホームを巡る壮絶バトルの舞台裏とは―――。初めてホーム&アウェー方式で実施されたフランスW杯アジア最終予選でグループ2位となった日本は第3代表決定戦を勝ち抜き、1998年W杯に悲願の初出場を果たした。岡田武史監督率いる日本代表の人気は沸騰し、多くのファン・サポーターがユニホームを着用。スタジアムを青色で染めつくすなど大熱狂。社会現象になるほどの日本代表ブームを巻き起こした。
フランスW杯に出場した当時、日本代表のユニホームはアシックス社、プーマ社(ヒットユニオン)、アディダス社(デサント)の3社が持ち回りで担当していた。フランスW杯ではアシックス社がユニホームの製作を手掛け、空前の売り上げを記録した。そして日本サッカー協会は自国開催となる2002年日韓W杯に向けて、長期的な安定収入を得るため、他のサッカー強豪国と同じようにメーカーと独占契約することを決定した。
そこで「日本代表オフィシャルサプライヤー」を募集。国内外の各メーカーと交渉し、最終的な候補となったのが、アディダス社とナイキ社だった。日本国内で大ブームが巻き起こる中、自国開催のビッグイベントが控えており、勝算は十分にある。ともに“商機”を逃さない姿勢で日本法人を設立し、高額な契約金を日本サッカー協会に提示するとともに連日、協会幹部らに猛アタックを行っていた。
ナイキ社は男子ゴルフ界のスーパースター、タイガー・ウッズ(米国)を来日させ、協会幹部らとラウンドさせるなど熱烈ラブコールを送ったという。またアディダス社が契約する国際サッカー連盟(FIFA)との結びつきをアピールした上で、ドイツサッカー連盟の幹部で元ドイツ代表のスター選手、フランツ・ベッケンバウアー氏との会談をセッティング。両社の接待攻勢が続いたとされている。
日本サッカー協会は最終的にアディダス社との契約を決断。99年から07年3月末までの8年契約で、年間20億円という巨額契約を締結した。ドイツに本社を置くアディダス社は、契約しているドイツサッカー連盟から国際情勢などのアドバイスを受けられることや世界サッカー界に大きな発言力を持つ大国の後ろ盾を得られることをアピール。これに日本が飛びついたとされる。
逆にナイキ社が選ばれなかった理由については協会幹部は「金額はナイキが上だったが、同社は世界戦略を見据えて日本代表(親善試合)のマッチメーク権が含まれていた。ブラジルがナイキ社と契約しているが、日本としてはそこは自分たちでやっていきたかったので…」と説明した。
その後も日本代表ユニホームを巡って8年ごとの契約更新の際には各メーカーが激しい火花を散らしている。 (敬称略)











