【多事蹴論(72)】“サッカーの神様”がイタリア1部ACミランが大嫌いな理由とは――。ブラジル代表の10番として国際Aマッチ71試合48得点をマークしたジーコは世界的スーパースターとして知られている。1991年にJSL2部だった住友金属(現J1鹿島)に加入。Jリーグの創成期を支えると、2002年日韓W杯後には日本代表監督に就任するなど、日本サッカーの発展に大きく貢献した。
そんなジーコは「ブラジル史上最強チーム」のエースとして82年のスペインW杯で大活躍を見せたことで、欧州ビッグクラブからオファーが殺到。中でも「世界最高峰リーグ」と言われていたイタリア勢から熱烈ラブコールを受けると、83年に長年プレーしていたブラジル1部フラメンゴを離れてイタリア1部ウディネーゼに移籍することになった。
海外初挑戦となったジーコはイタリアでも期待通りのパフォーマンスを発揮し、開幕戦で2得点を決めるなど、序盤戦からゴールを量産。同1部の名門ユベントスに所属する“将軍”フランス代表MFミシェル・プラティニと激しい得点王争いを繰り広げていた。ところが、その最中にまさかのトラブル発生。イタリアメディアがジーコの脱税疑惑を伝えたのだ。
中でも、この“事件”を過激に報じたのはACミランのオーナーで、後にイタリア首相となるシルビオ・ベルルスコーニ氏が保有するメディアセットというグループ。傘下のテレビや新聞、ラジオ、雑誌が連日のようにジーコの疑惑を追及した。ジーコの関係者は「彼のサッカー人生で唯一のスキャンダルでした。この時ばかりはさすがのジーコ本人も焦燥していたようです」と振り返る。
ブラジルとイタリアの税法上の違いがあったため、疑惑が浮上したわけだが、ジーコはすべて会計責任者に任せ、詳しいことはわかっていなかったという。それでも連日、メディアに追い掛け回され、精神的にも疲弊していった。ジーコが所属していた時代の鹿島社長でJリーグチェアマンも務めた鈴木昌氏も、本人から聞いた話として「それこそ『今日にも逮捕か』などと報じられて、かなり大変だったそうですよ」と証言する。
ジーコはウディネーゼに入団する際、ACミランのオファーを断ったことから、関連するメディアが執拗な攻撃を仕掛けていると考えていたそうだ。同関係者は「だからミランが嫌いなんですよ。自分の活躍をよく思わないミラン関係者に“売られた”ってね」。この脱税疑惑はイタリアの最高裁まで争われたものの、最終的にジーコが無罪を勝ち取った。
その一方、ピッチ外で疲弊し、得点王の座をプラティニに奪われてしまった。日本代表監督時代のジーコにイタリアでの騒動について聞くと「イタリアでは我慢することを覚えたよ」と語っていた。 (敬称略)












