【多事蹴論(74)】日本代表が強くなるための“条件”とは――。1993年にプロサッカーのJリーグが創設されると元イングランド代表FWガリー・リネカーやブラジル代表10番だったジーコらスター選手が参戦。日本サッカーは急速にレベルアップを果たした。93年10月に臨んだ米国W杯アジア最終予選(カタール・ドーハ)では出場権獲得に迫るも最終イラク戦の終了間際に失点し2―2のドロー。つかみかけていた世界切符を逃してしまった。
日本代表の躍進は「ライジング・サン」として世界から注目を集め、アジアでもトップレベルに急成長したとみられていた。しかし92年から日本代表監督を率いていたオランダ人のハンス・オフト監督が“ドーハの悲劇”を最後に退任し、ブラジル人のロベルト・ファルカン監督に代わると結果が出ず、ホーム開催の94年広島アジア大会はベスト8敗退。95年には加茂周監督を迎えて、再スタートするも、苦戦が続いていた。
96年2月、加茂ジャパンは海外遠征しオーストラリア代表と2連戦。第1戦(ウーロンゴン)を4―1で勝利も第2戦(メルボルン)は0―3で完敗。日本代表は98年フランスW杯で初出場を目指している中、お粗末なゲーム内容で衰退も指摘されていた。こうしたチーム現状に激怒したのは95年夏にイタリア1部ジェノアからV川崎(現東京V)に復帰したカズこと日本のエースFW三浦知良だった。
かねて「日本の選手は本当のプレッシャーの中でプレーする機会が少ない」と主張していたカズは試合後に「どうすれば日本は強くなる? どんどんアウェーに乗り込んでいくべきだよ。重圧のかかる韓国や北朝鮮、中国に遠征して敵地で試合をすればいいんじゃないか。オレは特にソウルのオリンピックスタジアムで、満員の(韓国)サポーターの前で韓国代表とやりたいね」という。
ブラジルなど世界強豪との対戦はチームの強化には欠かせないが、親善試合ではなかなか本気の対決にならない。しかし東アジアの3か国の中でも、特に歴史的な因縁深い韓国であれば、親善試合でも常に真剣勝負。しかも激しいブーイングが飛び交う完全アウェーとなれば大きな重圧がかかる。選手がプレッシャーを克服し、日本が進化していくために必要な強化プランといえた。
ただカズの緊急提言に加茂周監督は「公式戦で対戦する機会があるから…」と否定的。日本サッカー協会も「親善試合でも韓国と対戦するとなればプレッシャーがかかりすぎて現場が疲弊してしまう。頻繁にはやれないだろう。それこそ定期戦のようになれば“日韓戦”の価値も薄れてしまう」と及び腰だった。90年代から東アジア列強と敵地で積極的に試合をしていれば日本代表は違った進化を遂げていたのかもしれない…。(敬称略)












