【多事蹴論(71)】Jクラブの判断は適切だったのだろうか――。“赤い悪魔”ことマンチェスター・ユナイテッド(イングランド)や“白い巨人”のレアル・マドリード(スペイン)、“老貴婦人”ユベントス(イタリア)と欧州の名門クラブに所属し、数々のタイトル奪取に貢献したポルトガル代表のスーパースター、FWクリスチアーノ・ロナウドに、Jクラブが正式オファーを出していた。

 キッカケになったのは2003年6月にフランスで開催された伝統のトゥーロン国際だったという。ユース世代の各国代表が覇権を競い合うトーナメント。これまでに世界的に知られるスーパースター選手が数多く参戦していることから「若手の登竜門」とも言われている。C・ロナウドはこの大会にU―20ポルトガル代表として出場。同国1部スポルティングの所属で絶賛売り出し中の18歳だった。

 日本は大熊清監督が率いるU―20代表チームが参戦。MF長谷部誠を中心とするメンバーで大会に臨み、1次リーグでC・ロナウドのポルトガルと対戦。後半にFW茂木弘人のゴールで1―0と勝利している。日本はリーグ3位となり、4強で争う決勝トーナメントには進めず、勝ち上がったポルトガルが決勝でイタリアを破って優勝を果たした。この大会を視察していたJクラブのスカウトが、C・ロナウドのパフォーマンスを高く評価。スポルティングに対して獲得オファーを出したという。

 日本サッカー協会の田嶋幸三専務理事(当時)は同大会から数年後にこう明かした。「実は日本のクラブがC・ロナウドに獲得オファーを出していたんだ。トゥーロン国際のプレーを見て『いいな』って思ったみたい」と明かした上で「でも数か月後にはマンチェスター・ユナイテッドに20億円とかで移籍するわけでしょ。そのスカウトの見る目があるというのか、ないというのか…。しかもC契約(年俸上限480万円)でオファーを出したんだからね」

 C・ロナウドはトゥーロン国際からわずか2か月後の03年8月、移籍金1224万ポンド(約21億1000万円)でマンUに移籍した。10代の選手としてはイングランド史上最高額(当時)を記録し、世界的にも大きな話題となった。その後もサッカー界を驚かせる活躍を続け、スター街道を突き進んだ。そんな有望な選手に目を付けたのは「さすが」と言えそうだが、わずか年俸480万円の提示では断られるのも当然だろう。ちなみに協会関係者らによると、C・ロナウドにオファーを出したのはFC東京だったという。

 仮にマンUよりも先にC・ロナウドを獲得できていれば、FC東京がJリーグを席巻していたのは間違いなかったはずだ。 (敬称略)