【赤ペン! 赤坂英一】前巨人・中田翔(34)の中日移籍が大きな話題となっている一方で、先に中日入りした中島宏之(41)が気になる。

 中島は巨人を戦力外となり、中日に拾われる形で移籍。その直後、同じ巨人から中田がやってきた。しかも一塁の定位置が重なっており、苦しい立場に立たされている。

 中島が21年目の今年までに積み上げたヒットの数は1928。節目の2000安打まで72と迫っているが、入団会見では「昔は打ちたいと思ったけど、最近は気にしていません」と個人記録への思いを封印した。それより、立浪監督には「期待してるで。点を取らないといけないから頼む」と言われている。だから打点重視の姿勢で臨むと、こう強調した。

「状況を見て、どういう形で打てば点が入るかなと考える。ヒットで点を入れるのか、アウトでも点を入れるのか、いろいろなイメージをして打席に入っています」

 この言葉で思い出されるのが、中島が西武にいた2008年、巨人との日本シリーズである。3勝3敗で迎えた第7戦、1―2と1点ビハインドの8回一死三塁で中島に打席が回る。が、中島は第5戦で左脇腹を痛めて途中交代。手首への死球の後遺症もあり、バットを持っているのもやっとだった。後にこう明かしている。

「朝、水を飲もうとしてコップをつかんでも、口へ持ってこられない。それぐらいの状態でした」

 そんな中島に、当時の渡辺監督は3番で先発出場を続けるよう直々に要請した。「ナカジがオーダーにいるだけで、相手にプレッシャーを与えられるから」と。

 そして迎えた第7戦8回一死三塁、渡辺監督は三走・片岡に初球からギャンブルスタートのサインを出した。中島は「振れるのは一回だけだから」と初球から打ちにいき、三ゴロとなった間に片岡が見事同点のホームイン。この後、平尾が勝ち越しタイムリーを打ち、西武は日本一となったのである。

 その後、メジャー挑戦に失敗し、オリックスを経て19年に巨人へ移籍。その年は43試合の出場にとどまり、もう終わったかと思われた。が、翌20年に就任した石井琢朗野手総合コーチの特訓を受けて復活。100試合に出場し、打率2割9分7厘をマークしている。

 西武時代から逆境にあってこそ底力を発揮してきたのが中島。中田に負けじと、立浪中日で最後のもう一花を咲かせてほしい。