【平成球界裏面史 近鉄編30】平成25年(2013年)のオフには「終わりへの始まり」の兆しが出ていた。当時、DeNAに所属していた近鉄OB中村紀洋は13年シーズン、三塁のレギュラーとして122試合に出場。打率.281、14本塁打、61打点と40歳のベテランとして安定した成績を残していた。

ノリ騒動のあとにグリエルを獲得した中畑清監督(2014年6月)
ノリ騒動のあとにグリエルを獲得した中畑清監督(2014年6月)

 同じ年の5月5日には2000安打の節目の記録も達成。41歳となる14年シーズンも、中畑清監督が「必要な戦力」と公言したように重要な役割を担う存在と目されていたはずだった。

 だが13年オフ、10月下旬に行われた来季へ向けての下交渉では“無理難題”を押し付けられた。FA権を持つ中村に対しDeNAは、日本シリーズ終了までに球団提示金額で合意しなければ来季の契約をしないと通告。戦力外をちらつかせ強引な“肩たたき契約”を迫ったことは当時のDeNA選手会からも異議が挙がった。

契約更改を終えた中村紀洋(2013年11月)
契約更改を終えた中村紀洋(2013年11月)

 そんな経緯もあった中で中村は14年の春季キャンプ、オープン戦を通して二軍帯同。開幕も当然、二軍スタートとなった。だが、開幕早々にブランコの故障で戦力不足となり一軍に緊急招集。そこから13試合で10打点と役割をこなしてはいたが、5月6日の巨人戦(東京ドーム)で決定的な事件が起こった。


 1点リードの8回無死一塁で一走・梶谷が激しく動き盗塁を企図。中村は強引に打ちにいき三ゴロ併殺に倒れた。「場面によっては走者を動かさず、打席に集中させてほしい」。中村が、そういう主旨の相談を首脳陣にした結果、翌日に登録を抹消された。これ以降、中村は一度も一軍どころかNPBの舞台にすら戻ってくることはなかった。

 当時の中畑監督は「チーム方針に従わない言動があった。(抹消は)懲罰的な部分がある」とコメント。登録抹消は中村本人に直接ではなく、マネジャーからの電話連絡で通告された。相談するという行為が「批判」と取られ、当時の中村は大いに戸惑った。

中畑清監督と高田繁GM(2012年2月)
中畑清監督と高田繁GM(2012年2月)

 登録抹消された7日夜、中村は熟考した上で事の経緯をSNSで公表。一部関係者から投稿を控えようとの説得もあったが、最終的には自身の判断で投稿し世間に是非を問う行動をとった。

 この投稿には一晩で24万ものアクセスが集中した。ファンからのコメントは2000件超にも及んだ。これまでも思いを率直に口にするタイプで物議を醸してきた中村に対しては批判的なコメントも目立った。それでもファンの間で賛否両論が激しく飛び交った。SNSがさらに発達した現代であればどうなったか。そう思えるほどに注目度は高かった。

 コメントの中にはDeNAの高田繁GMや中畑監督への批判も多く存在した。そんな状況を受け、球団側は慌てて火消しに動くこととなった。翌8日、高田GMが中村と会談。必要な戦力である意向を公式に伝えられはしたが“懲罰的抹消”の期限については語られなかった。

 ただ、日々のペナントレースの戦いが繰り広げられる中、中村の問題は放置された。チームはシーズン途中にキューバ代表の主砲・グリエルの獲得などに動いた。ただ一方で“ややこしいベテラン”に対しては見て見ないふりを決め込むという陰湿な仕打ちが続いた。

険しい表情の中村紀洋(2014年4月)
険しい表情の中村紀洋(2014年4月)