やはりタイガース黄金時代を築く「4番」はこの男しかいない――。阪神の18年ぶりリーグ制覇と38年ぶり日本一に大貢献したのが、シーズン中からポストシーズンまで全試合で「4番・一塁」を務めた大山悠輔内野手(28)だ。守備でも10日には7年目にして自身初の「三井ゴールデン・グラブ賞」を受賞。今やチームの主砲として覚醒した虎の背番号3は、タイガースの歴史を語る上で外せない存在となった。
阪神の4番とは。これはいつの時代も語られてきたテーマだ。38年ぶりの日本一を達成した今季、4番は誰か? 全員が即答で「大山」と回答するだろう。それどころか、今後は虎の歴史をひも解く上で「大山悠輔」の名は語り継がれていくに違いない。
大山が初めて開幕4番を経験したのは、3年目の2019年だった。この年は金本知憲監督から矢野燿大監督に指揮官が交代。次代を担う4番育成にチームも本腰を入れていた。
大山は期待に応え6月には2桁本塁打を記録。虎の生え抜き選手が開幕から4番起用され、2桁本塁打を記録したのは03年の浜中治以来、16年ぶりだった。そして、その浜中氏が当時の打撃コーチとして大山に英才教育を施していた。
当時「矢野ガッツ」という言葉が流行。活躍に応じて、積極的に自己表現することを推奨された時代だった。だが、大山はこの時代でも、勝利確定時以外は派手に喜ぶことはなかった。それは当時の映像などを掘り起こせばわかる。
これは当時の浜中コーチから「阪神の4番というのは特別。一挙手一投足を見られている。『今年の新しい阪神の4番はどんなヤツなんだ』。そういう目で見られている。いつも平然として堂々と構えていればいい」と説かれていたからだ。
また、かつて岡田彰布監督もオリックスを率いた時代に、4番のあり方を説いていたことがあった。10年に22歳で本塁打王に輝いた主砲・T岡田が翌11年は不振。その際「打ち取られても『あ~っ』って上向いて、天を仰がんでええんよ。次、打ったらええんやから堂々としとかんかい」と叱責していた。
さて、プロ7年目、23年の大山はどうだったか。岡田監督の戦術意図を把握し、前年の59個から倍近いリーグトップの99四球を記録。その結果、出塁率4割3厘で自身初となる最高出塁率のタイトルを獲得した。全143試合、625打席で4番の姿を堂々と見せ続けてきた結果だ。
10月31日の日本シリーズ第3戦(甲子園)では1点を追う9回一死一、二塁で守護神・平野佳寿のフォークに空振り三振を喫した。一打同点の場面で失意のゲームセットとなったが、下を向かず堂々とベンチへ歩く姿があった。
そして翌日の第4戦(11月1日、甲子園)ではどうだ。同点の一死満塁の場面で大山は、ワゲスパックから左前サヨナラ適時打を記録しリベンジした。シリーズの成績を2勝2敗のタイに戻す4番の仕事で、4万を超える観衆を大喜びさせた。
阪神球団生え抜き選手で開幕から4番を務め、日本一まで全うした選手は1985年の掛布雅之以来、大山が2人目。CSの3試合という条件を含めれば虎の歴史唯一の存在だ。
もう一度、当時の浜中治さんの言葉を借りる。「そこまで言わなくてもいいかなと思っても悠輔にはあえて厳しいことを言うようにしています。1年通して阪神の4番を打ち続けて優勝。将来、悠輔にはやってもらいたい。僕にはできなかったから…」。
関わった指導者、関係者、ファンの思い。そこまで若者が背負う必要はないはずなのだが…23年の大山は巨大な重圧を力に変えた。













