【平成球界裏面史 近鉄編26】平成21年(2009年)、近鉄消滅から5年となった頃、中村紀洋は楽天の一員となっていた。07年から2シーズンプレーした中日を退団。FAでの移籍だった。

村田修一(右)に笑いかける中村紀洋(左)と森本稀哲(2011年10月)
村田修一(右)に笑いかける中村紀洋(左)と森本稀哲(2011年10月)

 ただ、楽天での選手生活は相次ぐ故障もあり満足いくものではなかった。三塁を確約され、野村監督から請われて入団したものの2年で戦力外。そのオフはトライアウトを受験せず、他球団のオファーを待つという選択肢を選んだ。

 07年1月にオリックスから自由契約となった際には、2月中旬に中日から声が掛かりテスト入団となった。だが、10年オフの場合は事情が違った。楽天から戦力外通告を受け、シーズンオフを経て春季キャンプも不参加。開幕も所属球団なしで迎え、11年シーズンは浪人となる覚悟もしていた。

 ところが交流戦中の5月22日、横浜ベイスターズから連絡が入った。「前段階での打診も何も本当になかった。驚いた。けど、うれしかった」と慌ただしく入団発表が行われ、約2週間はファームで調整。そこから6月8日、前年まで在籍していた楽天戦(Kスタ宮城)で7番・一塁手としてスタメン出場した。

左からスティーブン・ランドルフ、中村紀洋、ルイス・ゴンザレス(2011年5月)
左からスティーブン・ランドルフ、中村紀洋、ルイス・ゴンザレス(2011年5月)

 6月18日のソフトバンク戦(横浜)では代打で杉内から移籍後初本塁打。チームの勝利に貢献するアーチを放ち「初めて仕事ができました」と笑顔をはじかせた。

 11年シーズンは代打での出場を中心に、相手先発が左腕の際のスタメン、一塁の守備固めなどで出場機会を徐々に増やしていった。

 10月13日の阪神戦(横浜)では、チーム事情もあってプロ入り初の二塁スタメンでの出場を経験した。

タイムリーヒットを放ち笑顔の中村紀洋(2011年9月)
タイムリーヒットを放ち笑顔の中村紀洋(2011年9月)

 チームに合流し一軍登録されてからシーズン終了まで、中村は抹消されることは無くチームに帯同。62試合に出場し打率.209、1本塁打、14打点の成績で激動のシーズンを終えた。

 12年はチームがDeNAベイスターズとして新たなスタートを切った。巨人から新加入のアレックス・ラミレスの故障により、中村が4番・三塁で開幕スタメン。4月15日の巨人戦の延長11回には、サヨナラ本塁打を放ち持ち前の勝負強さを発揮した。

ホームランを放ちラミレス(右)とポーズを取る中村紀洋(2012年7月)
ホームランを放ちラミレス(右)とポーズを取る中村紀洋(2012年7月)

 5月4日の中日戦では元チームメートの守護神・岩瀬仁紀から本塁打を記録。NPB史上22人目の全球団本塁打を達成した。

 04年以来、8年ぶりの出場となった球宴では、7月20日の第1戦で逆転決勝2ラン。史上5人目となる両リーグでの球宴MVPを獲得し後半戦へ弾みをつけた。

 ようやくチームに定着。そうなったかのように見えた。だが、ベイスターズは4月からシーズン終了まで最下位を走り続けた。就任1年目だった中畑清監督との野球観の隔たりを中村が感じていたことも確かだ。

「中畑さんは子供の頃から知っている選手。『絶好調』というキャッチフレーズもあるくらいで明るい性格で人気もある。でも、それだけじゃという気持ちが正直ある。若い選手たちと勝つ喜びを分かち合いたい」

中村紀洋を迎える中畑清監督(2012年3月)
中村紀洋を迎える中畑清監督(2012年3月)

 そんなすれ違いが“事件”に発展していくことになる。