悲願成就――。阪神は14日の巨人戦(甲子園)に4―3で逃げ切り、18年ぶり6度目のセ・リーグ制覇を決めた。9月は無傷の11連勝。2003年9月15日を1日更新する球団史上最速Vとなった。宿敵を下して会心の「アレ」を果たし、聖地で6度胴上げされた岡田彰布監督(65)は「こんなにうれしいことはない」と感無量だ。12球団最年長指揮官が絶妙なタクトでチームをセ界の頂点へと導いた
歓喜の輪にゆっくり歩み寄った岡田監督は顔をくしゃくしゃにしながら6度宙を舞った。「明日から広島に行くんで何とか今日、甲子園でたくさんのお客さんのために決めたかった。こんなにうれしいことはない」。まずは優勝の喜びを口にした名将は「勝負は9月とずっと言い続けてきた。まさか9月にここまで強いとは思わなかった。勝ち過ぎましたね。選手のおかげです」とナインにねぎらいの言葉をかけた。
球界最年長の65歳。18年前とは比べものにならないほど体力は衰えた。だからこそ、長丁場のペナントレースを見据えて所作や行動にも変化が表れた。岡田監督の第1次政権は2004年から08年。当時を知る関係者は「攻撃時に座っていることなんてほぼなかった」と振り返る。常にファイティングポーズを取る青年監督だった。ただ、2次政権となってからの試合中はベンチで座りながらの指揮。メディアなど外部の目に触れるところでは階段を使うが、球団施設の2階にある監督室へ向かう上りの移動にはほとんどエレベーターを使用している。試合後も監督室のシャワーではなく、帰宅してから湯船に漬かった。少しでも疲労を回復させるためで、遠ざかっていた頂点に返り咲くべく最善を尽くしてきた。
勝敗の責任を負う監督としてだけではなく投手、打撃、作戦の“四刀流”を兼務した。前政権時に優勝した05年は投手、野手のミーティングは各担当コーチに一任していた。しかし今季は自ら必ず参加。当時の平田ヘッドに任せていた攻撃時のサインも自分で出し、味方の守備時には安藤投手コーチを傍らに置いた。ダイヤモンドで起きるすべてに神経を配り、戦況を把握するためだった。
そして、戦術面では前政権時の目玉だった「JFK」と同様にブルペンの強化に力を入れた。就任当初は「ワンポイントリリーフは置かない。中継ぎは(相手打者の)右、左に関係なく基本は1イニングを投げ切る」という起用方針を掲げた。しかし、試合を重ねながら戦力を見極め「『JFK』みたいにパッと突出したモノもいてないわ」と判断。固執することなく当時よりもさらに進んだ分業制にも臨機応変に対応した。
05年当時のブルペンに待機させたのは多くても7人だった。だが、6連戦が続いた8月以降は常に「2枠」拡大。連投は3試合までと決め、9人のリリーフ陣を帯同させ、球数がかさんだ投手はベンチ外として休養を与えた。
負担を分散させたのは「JFK」の一角を占めた久保田智之(現投手コーチ)の例もあったからだ。4年間で274試合に登板し、07年には現在でもNPB記録となっている1シーズン90登板を果たした一方、09年以降は調子を落として実働11年、33歳の若さでグラブを置いた。同じ轍は踏まない。自戒の念も込めた岡田監督なりの起用だった。現在、ブルペンを担当する久保田コーチも「全然違いますね。昔やったら平気で4連投、5連投とか。今は行っても3連投まで」と証言する。
「今がすべて」だった平成時代の采配からアップデートし、育てながら勝つ“令和のタクト”で頂点に立った知将。全員が平成生まれの虎ナインを覚醒させ、Vメンバーを中心に黄金時代を築くのが次なるミッションとなる。
阪神の杉山健博オーナーが、18年ぶりのセ・リーグ制覇に導いた岡田監督について「この野球を続けるとさらに伸びる。そのためには、岡田監督に頑張っていただくというのが、当たり前じゃないかなと思っている」と14日までに語り、来季の続投を示唆した。岡田監督も同日までに「来年はやるわ」と答えた。
就任1年目の今季は14日時点で80勝44敗4分けと圧倒的な強さで優勝。生え抜きの選手も順調に成長しており、球団からの信頼も高まっている。
2リーグ制となって以降、球団史上初となる2連覇を目指して2024年シーズンもチームは岡田体制でまい進する。












