【鈴木平 超二流~花の咲きどき~(41)】今では野茂英雄さんやイチロー、松井秀喜らの活躍でNPBとMLBの距離も縮まったと思いますよね。テレビを見れば日本人のエンゼルス・大谷翔平がメジャーのトップスターという時代になってしまってますもんね。
われわれの現役時代ではそんな状況を想像することすらできませんでした。
当時はプロ野球選手で編成する日本代表チーム・侍ジャパンもありませんでしたからね。自分で言うのもおかしいですが、僕みたいな右の変則モーションというタイプは国際試合だと需要があったと思うんですけどね。諸外国の右の強打者と対戦してみたかったですね。
そうですね。もう一度、野球選手としてピークの時代に戻ることができるなら、侍ジャパンに選ばれてみたいですね。選んでもらえた自信はありますね。
そう、そんな流れで唐突なんですが、実は僕もメジャーリーグに誘われたことがあったんですよ。オリックスに移籍して3、4年目の時でした。1997年オフくらいですかね。僕の携帯電話がいきなり鳴ってね、メジャーで投げてみるつもりはないですかって。
その時点では非公式でのオファーだったんですけどね。野茂さんがいたドジャースと同じナショナルリーグ西地区のコロラド・ロッキーズからお誘いをいただきました。
これは結果的にお断りすることになりました。まず1つ目の理由はオリックスでの野球が本当に楽しくて、チームを離れたくなかったという事実。もう1つは当時の状況ですね。
その当時はメジャーで活躍している日本人といえば、野茂さんくらいしかいなかったんですよ。その次に日本から挑戦する投手が僕だったとして、そんなの失敗できないじゃんという空気がバリバリだったと思うんですよ。
今現在であれば、ファンの皆さんもNPBの選手がより高い目標に挑戦することに寛容ですし、システムもそれなりに出来上がっている側面もあります。ただ、当時の状況で「はい僕メジャー行きます」と軽く言うのは無理、無理って話でしたね。
あと、今だから話せる事実としてジャイアンツへの移籍の話もあったんですよ。98年の1月にオリックスのチームメートだったリリーフ左腕・野村貴仁さんが木田優夫さんとのトレードで巨人に移籍したじゃないですか。その時、野村さんで交渉が決裂したなら、鈴木平が候補だったって話なんですよ。
96年の日本シリーズで対戦して敗戦したオリックスからリリーフ投手を獲得できないものかと考えたのでしょうか。当時の長嶋茂雄監督が評価してくれていたんでしょうかね。今となってはジャイアンツという風土にも触れてみたかった気持ちもありますね。
ヤクルト、オリックス、中日、ダイエーと渡り歩いてそれぞれにいろんな風土を経験することができました。バランスいいですよね。東京、名古屋、神戸、福岡で仕事をしていたというのは。うまい具合に主要都市をカバーしていて、今でも球団関係者の皆さんにはお世話になっています。
しかし、なんでしょう。「プロ野球ではどこのOBだったんですか」と聞かれれば「オリックスです」と返答しますし、野球教室ではいつもオリックスのユニホームを着用して指導しています。メジャーよりオリックスだったわけですもんね。













