〝燃える闘魂〟が運転をやめた理由とは――。故アントニオ猪木さん(享年79)が高級車に寄りかかるこのショットは、1966年9月に米ロサンゼルスで撮られたもの。米国遠征中だった猪木さんは、同年10月の東京プロレス旗揚げを前にロスに立ち寄った。
日本プロレスを離脱していたころの貴重な一枚だが、猪木さんが自動車と写っている写真はそう多くはない。引退後は後部席にデンと座っていた燃える闘魂が、車を運転することはあったのだろうか。
「いやいや、会長(猪木さん)がハンドルを握らなくなったのはオレが原因なんだよ」と明かすのは、猪木さんの弟子でバルセロナ五輪柔道銀メダルの〝元暴走王〟小川直也氏だ。米国修業時代は、猪木さんもレンタカーで米国内をサーキット。当時は悪党レスラーで、各地で観客のヒートを買い「試合後、地元ファンに車を囲まれたりしたそうだ」(小川氏)。
国内では運転手付きの車に乗ることが多かったが、猪木さんは98年4月の引退を機に、ロスに居を構えた。そうなると、再び自らハンドルを握るようになり、小川氏を助手席に乗せたこともあったという。
ある時、小川氏が猪木さんのもとで修行を積むため、ロスを訪れたことがあった。猪木さんは国産の超高級車を運転し、空港まで弟子を迎えに来てくれた。「でも会長のご家族も乗っていたんで、オレが同乗するわけにはいかない」と小川氏は別に車を借りて、猪木さんの超高級車の後をついていくことになった。
ところが…。
「バーンッ!ってすんごい音がして…前の車に追突しちゃったんだよ。ルームミラーでオレの車を確認しようとして、前を見てなかったみたい。慌てて車を左に寄せて停車して、(事故)処理したんだよ」
幸いにも猪木さん側、追突された側にも大きなケガはなかったものの、猪木さんのショックは大きかったという。
「道路の脇にぼうぜんと座っておられた姿は、忘れられないなあ。ご家族が止めたこともあってそれ以来、会長は運転をやめられたんだ。ロスで車を運転する際にはだいぶ練習したと言われてたけど…。やっぱり、日本人に左ハンドルは難しいんだよね」と、車好きの小川氏は振り返る。その上で「まさに会長の言われた通り、一寸先はハプニング。合宿でも本当に何が起きるかわからない、すんごい毎日だったよ」と苦笑いだった。













