【デンジャラスクイーンの真実#25】北斗晶の引退試合だった1994年11月20日の東京ドーム大会。全日本女子初の大舞台で日本一の女子を決める「V★TOP WOMAN 日本選手権トーナメント」に出場し、アジャコングに勝って優勝。有終の美を飾ると、ファンに向けて「私のことがもっと見たいか! 来年も東京ドームがあるなら北斗晶は必ず戻ってくる!」とマイクで叫んでいました。

 そして年が明けた95年。テレビ朝日さんからオファーをいただき、新日本プロレスの1・4東京ドーム大会でゲスト解説をすることになりました。私は当時「女猪木」とも呼ばれていたので「女猪木がアントニオ猪木の解説を」ということでしたね。「格闘技トーナメント」に出場された猪木さんは1回戦でジェラルド・ゴルドーに勝利。決勝でスティングに勝って優勝されました。当時の猪木さんは51歳。今の私(55歳)と同じくらいの年齢です。

 ボロボロになっても戦い続ける姿を見て何だか切なく思ったのです。こんなプロレスもあるんだなって。当時の私は若かったので、丈夫でかっこいいうちにリングを去りたいと思っていました。でも、猪木さんの試合を見たことが、その後に復帰するきっかけになったはずです。「こういうのもファンへの恩返しかな」と思ったのを覚えていますので。

 余談ですが、後に結婚した健さん(佐々木健介)に「健さん、あのとき試合に出てたの?」と聞いたことがあるのですが「俺、メインイベントだったよ…」って。確かに橋本真也さんとIWGPヘビー級戦を戦っていました。私はセミ前に行われた猪木さんの試合解説を終えて、すぐに帰ってしまっていたからまったく覚えていなかったんです(笑い)。

北斗(右)は猪木さんから大きな影響を受けた。左は健介(20年2月)
北斗(右)は猪木さんから大きな影響を受けた。左は健介(20年2月)

 95年4月に週刊プロレスさんが主催した東京ドーム大会がありました。ここで(当時編集長の)ターザン山本さんに「これだけ騒がして、ファンをこれ以上待たせてはダメだ。ここで撤回するべきだ」と言われ、正式に引退を撤回しました。

 ちょうどこのころ「女子プロレスはあまり好きじゃない」と話していた猪木さんから「女猪木と書かれているから、あの子ならいい」と言っていただいたそうで、名古屋まで行って対談することになりました。その場で「今度、北朝鮮で興行をやるけど行かないか」と言われて「そうなんですか」って。猪木さんに「ノー」と言う人なんていませんよね。次の日にはオファーが来ていました。

 もちろん、引退撤回というのは私にとって恥なことでしたが、復帰戦が決まり、腹をくくりました。こうして北朝鮮に行くことになったのです。