【門倉健 7球団奮投記~行けばわかるさ~(33)】2011年7月に韓国・サムスンを退団した僕は日本に戻って左ヒザの手術を受けました。「そろそろ引退か」。そんな気持ちも少しありましたが、自分の中ではまだ完全にやり切ったというところまではいっていません。幸いにも手術は成功。リハビリも順調に進んでまた投げられるようになると「野球がやりたい」と強く思うようになりました。
そこで僕は代理人の団野村さんと契約。野村さんの仲介で12年1月に楽天の入団テストを受けました。楽天の監督は僕をドラフトで指名してくれた星野監督でしたから不思議な縁を感じましたが、残念ながら不合格。2月には日本ハムの沖縄キャンプに参加して入団テストを受けましたがこちらも吉報が届くことはありませんでした。
それでも自分の中にあったのは「まだ野球をやりたい」という熱い気持ちでした。そんなときに声を掛けてくれたのが東北福祉大時代の同級生で北海道のクラブチーム「伊達聖ヶ丘病院硬式野球部」の若松監督でした。伊達聖ヶ丘病院の会長さんが野球に情熱を持った方だったので「ぜひうちでやらないか」と誘われたのです。「1年間やらせてください。もう一度テストを受けてNPBに戻りたいと考えています」と会長さんに伝えて北海道に行くことを決めました。
当初は「野球に専念してください」とのことでしたが、チームメートはみんな仕事をしながら野球をやっています。自分も他の選手たちと同じ条件で野球をやりたいという気持ちを伝えると、病院の事務の手伝いをすることになりました。クラブチームですからプロ野球のように施設面や道具など決して恵まれているわけではありません。それでもみんな「野球がうまくなりたい」と一生懸命です。そんな選手たちと接しているうちに自分の中にもハングリーな気持ちがよみがえってきました。
残念ながらチームは予選で敗れてしまいましたが、僕はJR北海道の補強選手に選ばれ東京ドームで行われた都市対抗野球にも出場することができました。初戦でリリーフ登板した僕は決勝本塁打を許して敗戦投手となってしまいましたが、アマチュアの誰もが目指す大会に出場できたことは自分の中で誇りになっています。
11月には最後の賭けとして千葉県・鎌ケ谷のファイターズスタジアムで行われたトライアウトに参加しました。打者4人との対戦ではノーヒットに抑えましたが、電話がかかってきたのは独立リーグの球団だけ。NPBのチームからの連絡はありませんでした。そこで僕は「引退しよう」と決断したのです。
13年1月には聖望学園野球部OB会が僕のために動いてくれて学校のグラウンドで引退試合が行われました。聖望学園、東北福祉大の1年後輩でヤクルトでも活躍した小野公誠とバッテリーを組み4イニングを投げました。最後は決め球のフォークボールで相手打者を空振り三振。こうして僕は現役生活にピリオドを打ったのです。












