【門倉健 7球団奮投記~行けばわかるさ~(28)】巨人にFA移籍した2007年の僕はわずか1勝に終わりましたが、翌08年はさらにつらいシーズンとなりました。何とか巻き返したいと思いながらも思うように体がついてこない。開幕は二軍スタート。期待される中で巨人に移籍したのに思い描いていたような成績が残せず「このまま終わっていくのかな」とネガティブな考えで毎日を過ごしていました。自分はあまりマイナスに考える性格ではないんですけど、その年は落ち込む毎日でしたね。

 巨人は10月10日のヤクルト戦(神宮)に勝って2年連続リーグ優勝を達成。僕は二軍だったのですが、ジャイアンツでは1試合でも一軍のゲームで投げた選手は胴上げの輪に入ることができるので、試合途中に神宮球場に呼ばれ、原監督の胴上げ、そしてビールかけにも参加しました。もちろん優勝はうれしかったのですが“自分がここにいていいのかな”という思いもありました。

 結局この年は一度も先発することなく11試合にリリーフ登板しただけ。02年以来プロ入り2度目の0勝に終わり、日本シリーズにも出場することはありませんでした。正直、この年のことはあまりよく覚えていません。それほど自分の中では苦しいシーズンだったのです。

 シーズン終了後、ありがたいことにジャイアンツからは翌年の契約の話をいただいたのですが、僕は「自由契約にしてください」と申し出ました。球団からは先発というよりもリリーフ中心のスーパーサブ的な起用を考えているという説明を受けたのですが、やはり自分としては先発として勝負したい。清武代表とも原監督とも話をしましたが、僕の気持ちをくんでくれ、巨人は契約を解除してくれたのです。

 フリーの身になるとすぐにパ・リーグの2球団からオファーがありましたが、自分の中にはその球団で投げるというイメージが浮かびませんでした。自分の中に「よし、じゃあ海外に飛んでみようか」という思いが芽生えていたのです。特にメジャーへの憧れはなかったのですが、将来、自分が指導者になったときのために他の国の野球を見て学びたい。お金よりも野球を勉強したいという気持ちが強くなっていました。

 そして12月に僕は都内で大リーグ・カブスのトライアウトを受けました。スカウトの前で40球ほどピッチングを披露した結果、合格。マイナー契約でしたが招待選手として最初はメジャーのキャンプに参加できることになりました。

 中日→近鉄→横浜→巨人と渡り歩いてきた僕ですが、5球団目はついにアメリカです。そして僕は09年2月にアリゾナのカブスキャンプに参加。そこでは想像以上に厳しい競争が待っていたのです。