【門倉健 7球団奮投記~行けばわかるさ~(30)】2009年1月にシカゴカブスとマイナー契約を結んだ僕でしたが4月の開幕直前、突然、リリースされてしまいました。さすがにこれには驚きましたが、すぐに次の身の振り方を考えなければなりません。代理人のもとには米国の独立リーグ、メキシカンリーグ、イタリアリーグ、そして日本の球団からも話が来ていたのですが、そんな中で熱心にオファーしてくれたのが韓国のSKワイバーンズでした。
僕も日本を飛び出した身でしたから、1年間海外でいろんな野球を見たいという気持ちもありました。そこで韓国球界入りを決断。中日→近鉄→横浜→巨人→カブス(マイナー契約)ときて6球団目となるSKと契約金と年俸合わせて約3000万円でサインしたのです。すでにシーズンに入っていましたが、4月半ばにチームに合流。2日ほど練習した後、18日のイーグルス戦にはリリーフ登板とかなりあわただしいスケジュールでした。
僕にとってありがたかったのはSKには日本語を話せる人がたくさんいたことです。金星根監督は京都出身の在日の方でしたし、投手コーチは元巨人の加藤初さん。他にも元ヤクルトの伊勢孝夫さんや元広島の正田耕三さんがコーチにいましたから韓国での生活面でもいろいろとアドバイスをいただきました。
韓国野球は前年(08年)の北京五輪で星野ジャパンを2度破って金メダルを獲得。09年開幕直前のWBCでも日本と決勝で戦うなど目覚ましい発展を遂げていました。当時は日本で戦力外通告を受けた選手が、韓国や台湾に渡ってプレーするという印象だったんですが、実際に投げてみると韓国の野球はほぼ日本と変わらないレベルにあると感じました。しかも当時の韓国プロ野球には外国人プレーヤーは1チーム2人までという制限がありましたから戦力にならないと判断されればすぐにリリースされてしまう。毎日、危機感の中で必死に投げていましたね。
韓国は移動が全てバスなので精神的なスタミナだけでなく体力的スタミナもないとできません。それでも僕は先発で23試合に登板するなどフル回転。中4日で投げることも何度かありました。
SKの先発陣の中心は僕と、前年の北京五輪で日本戦に2試合先発していずれもチームを勝利に導き、日本キラーと呼ばれていた金廣鉉(当時21歳)でした。金星根監督も加藤初投手コーチも若い金廣鉉には「門倉から学べ」とよく言ってましたから、彼はいつも僕にくっついて練習していました。金廣鉉は今年3月に行われた第5回WBCの第1ラウンド日韓戦でも先発。3回途中で降板しましたが、大谷から三振を奪うなど2回までは日本打線をほぼ完璧に抑えていましたから、日本の野球ファンの印象にも残っていると思います。
韓国1年目のこの年、僕は8勝(4敗)という成績。起亜タイガースとの韓国シリーズでも第1戦と第5戦に先発し、3勝3敗で迎えた第7戦にもリリーフ登板しました。しかし韓国チャンピオンをかけた大一番の試合ではリードした場面でリリーフしながら同点本塁打を浴びて降板。結局、起亜にサヨナラ負けを喫しただけにすごく悔しい思いをしたシーズンになってしまいました。











