【門倉健 7球団奮投記~行けばわかるさ~(31)】2009年に韓国のSKワイバーンズに入団した僕は8勝(4敗)を挙げ、韓国シリーズでも3試合に登板。しかし起亜タイガースに3勝4敗で敗れ、韓国チャンピオンになることはできませんでした。

 SKは日本でいえば巨人のように勝つことが義務付けられたチームです。それだけに翌10年は「今年こそ韓国チャンピオンになろう」という気持ちがチーム全体にありました。春のキャンプは宮崎で行われたのですが、日本のチームよりも早い1月半ばからキャンプイン。僕も合流して若手と一緒に必死になって練習しました。1か月半ほどのキャンプ期間中にブルペンで3000球を超える投げ込みを行うなど、僕のプロ野球人生の中でも最もハードといえる練習を行ったのです。

 僕はこの年、開幕投手を任されたのですが、体は万全の状態に仕上がっていましたから投げれば勝つという感じで3、4月の月間MVPを取りました。しかも僕が投げれば打線も爆発するという好循環がシーズン通して続き、この年は14勝(7敗)を挙げてチームも優勝。サムスンライオンズとの韓国シリーズも4連勝して韓国チャンピオンになったのです。ただ韓国シリーズでのピッチングはあまりよくなかったので個人としては完全燃焼という感じではなかったです。それでも球場で行われたシャンパンファイトはうれしかったですね。初めてチャンピオンリングももらいましたし、思い出に残るシーズンとなりました。

 当時は日本シリーズ優勝チームと韓国シリーズ優勝チームが戦う「日韓クラブチャンピオンシップ」という試合がありました。僕たちSKは11月13日に日本シリーズチャンピオンのロッテと東京ドームで対戦したのですが、金星根監督の粋な計らいで僕は先発をさせてもらったのです。

 日本で久しぶりに投げるということで喜びもあったのですが、残念ながら3回途中2失点で降板。試合は0―3で敗れ、僕は負け投手となってしまいました。ロッテに勝てなかったことは残念でしたが、1月中旬スタートのキャンプから約10か月にわたる長いシーズンが終わってホッと一息。僕はようやく日本でのんびりすることができました。久しぶりに充実した気持ちでオフを迎えました。

 12月に球団から連絡があり、球団代表と日本で会うことになりました。当然、契約更改の話だと思ったのですが、代表から告げられたのは「うちは今季は契約しません」。シーズン通じてフル回転して14勝を挙げチームの優勝に貢献していましたから、当然契約は更新されると思っていました。それがまさかの戦力外通告。僕にとって6球団目となる韓国・SKでのプロ野球生活は突然終わりを迎えることになったのです。