阪急で活躍したキューバ出身の〝レジェンド〟ロベルト・バルボン氏が12日に急性肺炎で死去した。89歳だった。俊足の内野手として3度の盗塁王(1958年~60年)、ベストナイン(58年)に輝き、65年に引退後もコーチ、解説者、オリックスの通訳などを務めてチームを支えた。
【楊枝秀基のワッショイ!スポーツ見聞録】ほっともっとフィールド神戸のネット裏記者席。その〝定位置〟から関西人よりもベタな関西弁がよく聞こえてきた。
「ホンマか。ホンマか。ほなまた、元気にしとけよ」
オリックス球団の事務所がまだ神戸にあった時代。シーズンオフに球場に詰めていると、ありし日のバルボンさんとよく遭遇した。
僕の前勤務先であるデイリースポーツの記者席。なぜか、いつもそこに座っては携帯電話で通話していた。
「おう、ちょっと席借りてるで。すまんな」
いえいえ、球界の重鎮なんですから気にしないでください。そう言うと「重鎮ちゃうよ。歳いってるだけやんか。ハハハハ」と芸人ばりの素早いリアクションで笑わせてくれた。
有名な話ではあるが、阪急の通訳時代のエピソードについても質問したことがある。
当時の助っ人ブーマーがそれなりに長く話しているにも関わらず「ブーマー、頑張る言うてますわ」と、かなりアバウトに通訳。観客から「ブーマー、もっとしゃべっとるやろ」とツッコミを受ける場面に関してだ。
「それはブーマーにも何回か言われたことあるなあ(笑い)。まあいろいろ、まとめて頑張る言うてるんやから間違いちゃうからええやろ。というか、ヤジ飛ばしとったんジブン(君の意味)ちゃうやろなあ!」
おおらかすぎるバルボンさんが大好きだった。
バルボンさんには一人娘がいて、兵庫県内で教員をされていた。われわれの世代にはその授業を受けた記者も存在する。
「昔はガイジンも珍しかったしなあ。バルボンの娘や言われて苦労したみたいやなあ。僕の前では弱音は聞いたことないけど、よう頑張ってたと思うわ」
異国での生活は実に68年。見た目以外は完全に関西のオッチャンだった。現役時代は俊足野手とあって、晩年も細身で足が長くてカッコよかった。
「そんな褒めるやな。照れるやないか」
よく通る声で笑う様子が今でも目に浮かぶ。
バルボンさん、お世話になりました。ゆっくり休んでください。












