【門倉健 7球団奮投記~行けばわかるさ~(18)】近鉄移籍1年目は7勝9敗、防御率3・91の成績だった僕ですが、2年目の2001年は開幕投手を務めました。キャンプ中、僕と前川と山村が投げているときに梨田監督がブルペンにやって来て「開幕戦行きたいやついるか?」と聞いてきたのです。そこで僕が手を挙げて立候補しました。開幕投手は一度はやってみたかったですし、開幕を任された人がローテーションの中心になる。今年は自分が引っ張っていかなきゃいけないという気持ちもありました。その後、首脳陣の間でオープン戦での投球内容なども含めて検討された結果、「今年は門倉でいこう」となったのです。

 ところが開幕の日本ハム戦はボロボロでした。3本のホームランを浴びて2回途中6失点KO。せっかく開幕戦を任せてもらえたのに試合をつくることができず、情けない気持ちでいっぱいでした。それでもこの年の近鉄は劣勢になってもあきらめません。いてまえ打線が爆発して10―9で逆転勝利を収めたのです。

 僕は負け投手にならずにすみましたが、試合後、小林繁投手コーチから「次の試合で打たれたら二軍落ちだから」と通告されました。せっかく開幕投手を務めたのにたった2試合投げただけで二軍落ちとなってはたまりません。次の西武戦では7回2失点と何とか結果を残して首の皮がつながりました。

 しかしシーズン通してよく打たれました。先発もリリーフもどちらもやりましたが、きっちり抑えた記憶があまりありません。この年の防御率は6・49と僕のプロ野球人生ワースト。21試合に先発して防御率6点台なら普通は2桁は負けます。ですが、8勝5敗と勝ち越したのです。本当に不思議な年でした。これだけ打たれてもシーズン中一度も二軍に落ちなかったのは得点を許しても味方打線が逆転してくれたからです。

 特に中村紀とタフィ・ローズの爆発はすごかったです。ローズは打率3割2分7厘、55本塁打、131打点でホームラン王を獲得。王さんの持つ本塁打のシーズンプロ野球記録に並びました。中村紀は打率3割2分0厘、46本塁打、132打点で打点王を獲得。さらに5番を打つ礒部も打率3割2分0厘、17本塁打、95打点と勝負強さを発揮していました。クリーンアップの3人だけで118本塁打、358打点を記録するのですからいてまえ打線はパ・リーグのどの球団からも恐れられていました。

 シーズン終盤までダイエー、西武との激しいV争いが続きましたが、9月に入ってから近鉄打線はさらに打ちまくり、優勝マジックが点灯。そして伝説の“代打逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームラン”が飛び出した9月26日のオリックス戦(大阪ドーム)を迎えたのです。