【門倉健 7球団奮投記~行けばわかるさ~(17)】1999年オフ、僕はトレードで近鉄に移籍しました。正直、不安な部分もありましたが、近鉄はおおらかなチームで意外にすんなりとチームに溶け込むことができました。

 何より驚いたのが梨田監督が全く怒らない監督だったということでした。中日は星野監督のもと全軍一丸となって戦うというピリピリ感がありましたが、梨田監督はいつも穏やか。負けても“次、頑張ろう”という感じで星野監督とはまさに正反対でしたね。

 中日では試合前、他球団の選手と会話することも禁じられていました。相手と仲良くなると甘さが出て勝負に徹することができないという星野監督の考えもあったと思います。プロ野球界には東北福祉大の先輩がたくさんいましたが、いつも遠くから帽子を取って会釈するだけ。しかし近鉄ではそんなことを気にする必要はありません。個々がそれぞれの力を発揮して勝っていこうというチームカラーでした。自分の仕事をすれば勝てる。特に打撃陣にそういった傾向が強かったと思います。そんな中でチームを引っ張っていたのが中村紀とタフィ・ローズの2人です。

 中村紀とは近鉄に入団するまで話したことはなかったのですが、同級生の僕がチームになじむような雰囲気づくりをしてくれたりしました。話しやすかったし、親分肌。何といっても近鉄の看板選手ですし、みんなから一目置かれてましたね。後輩の選手たちも中村紀にいろんな話を聞きに行ったりとまさにチームの中心選手でした。

 中村紀のバッティングは本当にすごかったです。豪快なフルスイングなのにアベレージも残せる。バットに当てる技術がすごく高く、セ・リーグにはいないタイプの打者でした。もし敵として対戦したらどういうふうに抑えたらいいんだろうと思いましたね。とにかく穴がない。打撃ばかりに目が行きますが守備もすごくうまかったです。

 タフィは三振も多いけど一発が魅力の典型的な長距離ヒッターでした。日本語でコミュニケーションができて、ユーモアがある。日常会話なら日本語でできましたからね。「昨日何食べた?」とか「家族が来ると打てるんだ」といった内容の話をしてましたし「なんでやねん」と大阪弁でのツッコミもマスターしていました。

 本当に研究熱心でノートにデータを書き込んでいるところを見たこともあります。やはり長く日本球界で結果を残す外国人選手は違うなと思いましたね。

 移籍1年目の2000年、僕は7勝9敗、防御率3・91という成績でしたが、正直納得はいかなかったです。大事なところで打たれることも多かったですし、やはり先発だったら2桁は勝たないといけないという気持ちが強かった。チームも波に乗れず最下位に沈みました。

 しかし、翌01年の近鉄は最下位からの逆襲を見せます。開幕からいてまえ打線が爆発して首位争いを繰り広げました。快進撃を支えたのはやはり中村紀とローズのバットでした。