【門倉健 7球団奮投記~行けばわかるさ~(16)】1999年の中日は開幕から11連勝という強烈なスタートダッシュを見せ、優勝に向かって爆走しました。しかしチームが盛り上がっているころ、僕は二軍にいました。キャンプで右ヒジを痛めてしまい、開幕に間に合わなかったのです。
5月にようやく一軍に上がりましたが、なかなか調子が上がらずこの年はわずか2勝(4敗)を挙げただけ。シーズン通して二軍にいることが多く、チームは9月30日のヤクルト戦(神宮)で勝利して11年ぶりのリーグ優勝を決めましたが、僕は星野監督の胴上げにも参加することができませんでした。
日本シリーズはダイエーに1勝4敗で敗れましたが、僕はベンチに入ることもなく、本当に悔しいシーズンとなってしまいました。テレビで見るドラゴンズの試合はどこか人ごとのような感じがして、自分のチームではないような感じさえしました。沖縄で行われる秋季キャンプで鍛えなおして出直そう。そう気持ちを切り替えていたときです。「門倉は沖縄キャンプのための荷物を出さなくていいから」と球団の人に言われたのです。
え? もしかして俺クビになるの? 予想だにしてなかった事態に心も乱れます。「こんな状態では練習できませんよ」。球団に問い合わせたところ「実は近鉄とのトレードが今、まとまりかけている」との返事です。ほどなく僕、古池拓一さん、東瀬耕太郎さんと小池秀郎さん、佐野重樹さん、善村一仁さんとの3対3のトレードが中日と近鉄両球団から発表されました。
「捨てられた」「俺は必要ないんだ」。本当にショックでした。4年目のこの年こそ2勝で終わりましたが、入団1年目は後半から一軍に上がって7勝、97年、98年と2年連続2桁勝利を記録しています。自分の中では3年間しっかり働けたと思ってましたし、たった1年間結果が出なかっただけで放出される。本当にやるせない気持ちでいっぱいでした。
でも最後は前向きな気持ちで近鉄に行くことができました。それは星野監督から直接、トレードに至った事情を説明されたからです。中日のファン感謝デーに参加したときのことです。「本当はお前を出したくはなかった。だけど(近鉄の)梨田監督が“どうしても欲しい”と。梨田監督はすごくお前のことを評価しているんだ」。星野監督のこの言葉を聞いて吹っ切れました。
自分のことを必要と思ってくれる人がいる。プロ野球選手としてそれはすごく幸せなことです。だったら自分のことを必要だと思ってくれる場所で頑張ろう。そういう気持ちで僕は新天地のバファローズへ行きました。そこで中村紀やローズらパ・リーグの豪快な選手たちと出会うことになるのです。












