【平成球界裏面史 大谷翔平・最後の夏編】第5回WBCでの大フィーバーもさることながら、いまや「世界の大谷」となったエンゼルス・大谷翔平投手(28)。非凡な才能とスケールの大きさから、岩手・花巻東高校時代から注目される存在だったのだが、高校最後の3年夏は、甲子園に出場できなかった。

花巻東時代の大谷翔平(2012年3月、春のセンバツ)
花巻東時代の大谷翔平(2012年3月、春のセンバツ)

 平成24年(2012年)7月26日、夏の岩手大会決勝。この試合に先発した大谷は、0―1で迎えた3回、盛岡大付の4番打者・二橋に左翼ポール際に3ラン本塁打を浴びた。ポールを巻いたか巻いていないのか、フェアかファウルか微妙な打球で〝疑惑の3ラン〟とも語り継がれるこの一発がモノをいい、花巻東は3―5で敗戦。試合後、打った二橋に「ナイスバッティング」と声をかけ、大谷の高校野球は終わった。

 だが、大谷をめぐる騒動は、予期せぬ形でその後の甲子園で拡大することになった。

大谷から3ランを打った二橋大地(2015年12月)
大谷から3ランを打った二橋大地(2015年12月)

 同年8月23日、第94回全国高校野球選手権大会決勝で、大阪桐蔭が光星学院を3―0で破り、全国制覇を決めた直後のことだ。閉会式の大会総評のなかで、奥島孝康高野連会長が「地方大会では有力校が次々と敗退するなど、夏を勝ち進む難しさを痛感させられました。その中で全国大会に駒を進めた49代表は、記録と記憶に残る戦いを演じてくれました」と話した後「とりわけ残念なのは花巻東(岩手)の大谷投手をこの甲子園で見られないこと」と個人的見解を述べたのだ。

大谷不在の甲子園では藤浪(左)率いる大阪桐蔭が優勝した(2012年8月)
大谷不在の甲子園では藤浪(左)率いる大阪桐蔭が優勝した(2012年8月)

 確かにその気持ちは分からないでもない。だが、大会本部には「盛岡大付が岩手代表で出場しているのに失礼ではないか」という抗議の電話が寄せられ、大会関係者が陳謝する事態となった。

 奥島氏はのちに本紙のインタビューに応じ「あれはねえ。僕はいつも原稿を作って変なことにならないようにしてるんですが、あのときはアドリブで急に大谷くんに触れたくなってしまって。やっぱり、本っ当に見たかったんですよ。それでつい口に出てしまった。(岩手代表の)盛岡大付の方々には申し訳ない思いをさせてしまった」とコメント。

インタビューに応じた奥島孝康氏(当時は白鴎大学学長、2018年4月)
インタビューに応じた奥島孝康氏(当時は白鴎大学学長、2018年4月)

 批判の声については「メチャクチャありましたね。甲子園にも出てないところの選手について、個人的なことを言うのはまことにけしからんとね。だけど逆にずいぶんとその後(の大谷の活躍で)慰められました。あれだけの人間だったんだから、誰でも見たがるよねと。僕はもう、絶対にあんな大物はいないと思って、つい愚痴が出てしまった。これが高校野球の困ったところでね、ひとつの試合の話をすると『なんでそこだけ切り取るんだ』と。みんな思い入れが強いものだから」とも述懐した。

日本中が度肝をぬかれた大谷翔平の膝つき3ラン(2023年3月、WBC)
日本中が度肝をぬかれた大谷翔平の膝つき3ラン(2023年3月、WBC)

 大谷を見たい。とにかく見たい。今回のWBC、バンテリンドームに、京セラドーム大阪に、そして東京ドームにたくさんのファンが殺到したのも、そんな気持ちからくるものだろう。奥島氏のあの発言は、今なら当時とはちょっと違った受け止め方をされるかもしれない。