【デンジャラスクイーンの真実#8】1985年1月に全日本女子プロレスのオーディションを合格した私は「早く入って巡業についてこい」と指示を受けました。1つ上の永堀一恵さんたちの代はどんどんいなくなって、私が入ったころは2人になっていました。その上がブルちゃん(ブル中野)たちで、小倉由美さん、小松美加さん、永友香奈子さん。ブルちゃんはヒールだから、正規軍は5人。雑用する人がいなくて、私は走り回ってパンフレットを売りました。
つらかったけど、何となくうれしかったですね。仲間になれたような気がして。でも、仲間ではないんです。プロになってないから。オーディション受かった時に審査員のクラッシュギャルズ(長与千種&ライオネス飛鳥)さんかデビルさん(デビル雅美)から「おめでとうとは言いません。オーディションに受かるのは簡単だから。この後、プロになれるかなれないか。プロテストで受からなければ寮を出てもらうから」って言われて「こわー」と思いましたね。
85年4月の都内の大会だったと思います。私と仲前芽久美は「予備プロテストをやる」と言われ、お客さんの前でやらされました。本当はプロになるためにプロテストを受けなきゃいけないんですが、それがプロテストになったんです。
翌日からエキシビションに出場しました。化粧道具もないから先輩たちが化粧してくれて。イタズラだったのか分からないですが、眉毛を太く描かれたりしました。でも、鏡を見てる暇もないから…。ただでさえブスなのに、とんだブスが出てきたなと思われていましたよね(笑い)。
時間がなくて、その後のエキシビションにスッピンで出たらすごい怒られました。お金がなかったから、化粧品を買うお金もなかったんです。新人時代の月給は4万5000円で、実家から仕送りしてもらわないと生活ができない。トイレットペーパーとお米は支給してくれましたが、おかずは自分で用意しなくてはならなかった。引っ張ったり投げたりするから、Tシャツとかボロボロで着るものも大変です。武蔵小山の商店街で500円のTシャツを買ったりしました。
当時は言えなかったのですが、目黒の寮の近くに上原商店というのがあって、私のことを特別かわいがってくれたんです。賞味期限が切れたやつをおばちゃんが取っておいてくれて「宇野ちゃん食べな。負けるんじゃないよ」って。そのお店はどんどん新人がいなくなるのを知っていました。
今でも近くで仕事があるときに寄ると「宇野ちゃん、持っていって食べな」って煮物とかを渡してくれます。上原のおばちゃんにとって、私はお金のない宇野ちゃんのまま。「今はお金持ってるよ」と言っても「いいから、いいから」って。
そんな新人時代、私には後悔していることがあるんです。