プロレス界のスーパースター、アントニオ猪木さん(享年79)が最も輝いていたのは、新日本プロレスの「黄金時代」と呼ばれた1980年代だろう。当時をよく知る元猪木番記者が〝昭和〟の燃える闘魂を振り返る連載最終回は、猪木さんの後継者になるはずだった、後の「格闘王」との別れについて――。
1988年1月24日、イタリア・ローマ。試合前の猪木さんの控室をひとりでこっそり訪ねた。控室は薄暗く、どこかで水が流れる音も聞こえ、じめじめしている。猪木さんはひとり黙ってリングシューズにひもを通していた。
本題は前年11月19日に後楽園ホールで、長州力の顔面を背後から蹴って骨折させ無期限出場停止処分となっている前田日明の処遇だ。新日本プロレスがかたくなに沈黙を貫くなか、猪木さんは復帰の道筋をすでに立てているはずと踏んで聞いてみた。ところが、返ってきたのは予想外の言葉だった。
「クビだよ」
驚く私。猪木さんはこう続けた。
「だって、みんなそう言うんだから仕方ねぇだろ」
前田は猪木さんの跡を継げる人材と食い下がっても、猪木さんは「そうだけど…」と歯切れが悪い。「まだ最終的に決まってないけど(前田が)考えを変えないと無理だろな」と吐き捨てた。私とは決して視線を合わそうとせず、あとは黙り込んだ。
帰国してすぐに、私は「前田クビの危機」とスクープした。しかし2月に入るや、前田の解雇が正式発表された。「みんなそう言うんだから」との言葉どおり、さすがの猪木さんも激高する周囲に押し切られるしかなかったようだ。
前田とアンドレ・ザ・ジャイアントの不穏試合(86年4月29日、三重県津市体育館)ですら「こんなプロレスもあるってことですよ」と涼しい顔で答えていた猪木さん。長州顔面蹴撃事件もきっとプラスに変えてみせただろうに。それを断念せざるをえなかった状況はじくじたるものがあったのではないか。私へのリークも、記事化されることで前田を助けられるムードができないか、との意図があったのかもしれない…。
あれから何十年もたって、ユーチューブで闘魂ビンタをくらうくらわないでうれしそうに長州らとじゃれている前田の姿を見た。「ああ、よかった」と思わず口に出た。本当にいろいろあったが、最後はみんな猪木さんのもとへ帰っていったのだ。
そして、もう二度と関わることはないと思っていた私まで猪木さんに〝呼び戻され〟これだけの本数の猪木さんの昔話を書かされた。まさに死せる孔明、生ける仲達を走らす、である。











