永遠の師匠へ――。全日本プロレスの極悪専務こと諏訪魔(46)が、21日のノア東京ドーム大会で引退試合を迎える〝プロレスリングマスター〟武藤敬司(60)へ感謝の言葉を贈った。27歳の時にプロレス界に引き入れ、全日本時代にはプロレスのイロハを叩き込んでくれたのが武藤だった。今回だけは極悪男の姿ではなく、本名の諏訪間幸平として当時の秘話を明かす。
21日の引退試合で新日本プロレス・内藤哲也と対戦する武藤について、諏訪魔は「その姿を目に焼きつけたいなと思うね。あと、それを見て自分がどう思うか。いつか引退するべきなのか、生涯現役を貫くべきなのかとか考えさせられるよ」と静かに語った。
師匠である武藤には、人生の節目節目で大きな影響を受けた。中大レスリング部を卒業後、諏訪魔は大手メーカー「クリナップ」に務めながら実業団で2004年アテネ五輪出場を目指した。「馳(浩)さんから『全日本プロレスに『(レスリングの)王道クラブをつくるから来てくれ』って言われたんだけど、レスリングをまだやりたかったから」と振り返る。
幼いころからプロレスが好きだった諏訪魔は、レスリングに打ち込みながらも全日本の会場に足しげく通った。忘れもしない大会が、03年7月19日の日本武道館大会だ。
グレート・ムタ vs ギガンテスの試合を最前列で観戦し、試合後にはバックステージでムタの代理人を務める武藤と初対面。「全日本に来いよ! 待ってるぞ」と声をかけられた。この言葉が人生を変えた。
同年9月の世界選手権では男子フリー120キロ級で出場するも、18位で予選敗退。その後、日本が同階級の五輪出場資格を取れず、アテネ五輪への道が断たれたことでレスリング卒業を決めた。
当時はPRIDEやK―1といった格闘技の人気に押され、プロレスが低迷。中大の先輩・桜庭和志をはじめ、中尾〝KISS〟芳広らレスリングの先輩、仲間が総合格闘家に転向していた。
だが、04年3月、諏訪魔が選んだのは、武藤が社長を務める全日本プロレスだった。「ビジネス的に考えたら格闘技に行く道もあったけど、あの日、武藤さんからかけられた言葉や人柄にひかれ全日本に決めた。武藤さんの言葉がなかったら、総合格闘技の世界に行っていてもおかしくなかった」
入門後は10か月、武藤の付け人を務めた。諏訪魔の運転で送迎する時は、いつもプロレスの話をしてくれた。「お前は歴代で一番の付け人だよ」と言われたこともあった。「うれしかったけど『俺は付け人が仕事じゃねえし、プロレスで認めさせてやる』って思ったよね」。武藤の言葉に発奮したという。
08年4月には3冠ヘビー級王座を初戴冠。同年9月には、雷陣明との試合で後頭部にサッカーボールキックを放ち、脳振とうで欠場に追い込んだことがあった。責任を感じた諏訪魔は辞表を出すことを考えたが、踏みとどまらせたのは武藤だ。
「『お前はチャンピオンだろ? チケットを買ってくれている人がいるんだから、辞めるんじゃねえ』と言われ、辞めるのをやめた。プロだなと思ったよ」
数年後、別れは突然訪れた。武藤は13年に退団し、W―1を旗揚げ。別々の道を進んだ。「何にもなくなった。そりゃあ寂しかった」と振り返りつつも「でも、今も武藤さんがつくった全日本のエキスは残っている。それを残しつつ、今後全日本が長く続くように繁栄させていく」ときっぱり。師匠から引き継いだ王道マットを守り続ける。













