【取材の裏側 現場ノート】やはりプロの世界で活躍し続けることは難しい。今オフの巨人でも多くの選手が戦力外となり、ユニホームを脱ぐ。「琉球トルネード」と大きな期待を集めた与那原大剛投手(24)もその一人だ。
沖縄・普天間高から2015年のドラフト3位で入団。高卒でありながら身長189センチ、体重90キロと体格にも恵まれ、変則的なトルネード投法で将来を嘱望された。しかし、プロでの7年間はケガとの戦いでもあり、18年オフに育成で再契約し、一軍登板を果たせぬまま現役生活を終えることになった。
ただ、そのポテンシャルの高さは他球団もうらやむもので、かつて獲得寸前まで動いていたのがDeNAだった。
「平良か与那原か。この2択でどちらを獲るか。幹部たちが最後の最後まで真剣に意見をぶつけ合った」(セ球団関係者)。
時は16年のオフ。与那原が岡本和らとプエルトリコでのウインターリーグに派遣されていた間、遠く離れた横浜で重大な会議が行われていた。山口俊がFA宣言し、ライバル球団の巨人に移籍。DeNA側は山口の人的補償として、巨人から届けられたプロテクトリストから外れた有望株の獲得に本腰を入れていた。最終的には平良拳太郎投手(27)を獲得したが、甲乙つけがたい両者についての議論は最後まで白熱したという。
あの時、与那原がDeNAに移籍していたら、その後の野球人生はどうなっていたのか…。それは誰にも分からない。
振り返れば、こんな初々しいエピソードも思い出される。「カードの使い方を知らなくて笑われちゃいました」(与那原)。新人としてジャイアンツ寮に入寮して初めての休養日だった。同期たちに連れられ、大都会の新宿方面へ繰り出した。沖縄で生まれ育った当時の与那原には電車はおろか、交通系ICカードにもなじみがない。沖縄を走る「ゆいレール」にICカードが導入されたのも20年3月からだ。
同僚たちのイジリもあったのだろう。言われるがままにICカードをゲットしたまでは良かったが…。「切符売り場に行って、そのカードで切符を買いました(笑い)」。自動改札を「ピッ」と通るだけなのに、まさかの〝二度手間〟に周囲は大爆笑に包まれた。
プロでは大輪の花を咲かせることはできなかったかもしれない。しかし、まだ24歳。球団職員として実りある第2の人生を歩んでほしい。(巨人担当・大島 啓)












