【石毛博史 火消しは任せろ(25)】大阪ゴールドビリケーンズのコーチとしては、あいさつ、キャッチボールを丁寧にやること、グラウンドの整備とか、人間性の部分を口うるさく指導していました。例えば投手なら審判の判定に不服そうな顔をする時があるでしょう。ストライクボールに首をかしげたところでどうにもならないし、審判って味方になってくれなくても一番敵にしてはいけない人。審判も人間。態度の悪さを怒ったことはあります。
野球が終わっての人生もある。人間力を上げてほしいので野球以外のことで教えることはたくさんありました。村上隆行監督もメンタル面で同じところを見ていたし、怒るタイミングは一緒。目標を持たせるのもこっちの仕事だし、遠征の移動時間も長いのでマイクロバスの中でそんな話もしていました。
それが…。2010年6月、8選手が野球賭博に関与していることが分かったんです。村上さんから連絡が入ってウチの選手にこんなことをやってるやつがいると…。もう野球をやめなきゃいけないと思ったくらいの衝撃でした。自分らが目指す世界を賭けの対象にするなんて…。ふざけんな、と思いました。日頃から人間性の大切さを教えていたのに…。
その後、僕らはすぐに動きました。同じリーグの三重スリーアローズが高知に遠征していたので村上さん、球団代表と3人で大阪から事情説明に向かい、公にすることを伝え、大阪で記者会見。スポンサーの森下仁丹にもおわびに行きましたけど、もう支援できないと言われ…。だいぶ落ち込みましたよ。
捜査は警察に任せ、僕らは残りのリーグ戦をこなさないといけない。選手が多く抜けたので僕や村上さんが選手登録をし、思わぬ形で5年ぶりの現役復帰ですよ。打者を抑えようというより、こう攻めるとか、マウンドさばきを選手に見せたかったかな。短いイニングを数試合投げ、村上さんも「代打・俺」やってました。プロを終わった人が出るなんてもうチームとして成り立っていないし、相手チームにも申し訳なかったですよ。自分のしたことではないとはいえ、世間的な印象もあるし、すごく叩かれ、チームは翌11年1月に解散となりました。
志半ばに終わり、村上さんは東大阪を拠点とした「06BULLS」を設立。僕は投手コーチに呼ばれ、翌12年から再び関西独立リーグに加入しました。6年間コーチを務めましたが、ランニングコストがかかり、辞めるまで僕らも選手も給料なし(笑い)。二度と同じ過ちを繰り返さないよう、トライアウトも内面的なことを見ながら慎重に人選しました。
スポンサーは小口で運営費が精一杯。僕の収入は…たまにやる野球教室とマスターズリーグ「東京ドリームス」に参加するギャラくらい。家族の理解と援助がないとできないですし、僕も村上さんも夢を追いかけるバカでした(笑い)。











